2012年4月22日日曜日

宣教と観想


宣教と観想

・・・わたしは神の祭壇に行こう


1981722日。その日の晩は非常に静かでした。一軒の小さな、古風な・・・、まさしく「彼女」のお気に入りの大層わびしい家が、ローマ市のはずれにありました。その家は月桂樹や他の美しい茂った樹木の生垣で囲まれ、小さな庭の向こうにはほんのわずかばかりのぶどう園があります・・・樹木の上では、小鳥たちが創造主に対する崇敬と栄光の歌を歌っています。平和、落ち着き、そして回想に沈むたたずまい・・・たえず黙想と、被造物を創造主に結びつけようとする招きがあります。「主よ、あなたはそのみ業をもってわたしを喜ばせられ、み手の業を見てわたしはよろこぶ。おお!偉大なるかな、主のみ業は・・・」(詩編91

その家の礼拝堂では、一団の人びとが、主、救い主、そしてあがない主であるイエズスに愛された人、聖マグダラのマリアの晩の祈りをうたっています。マニフィカトがうたわれ、そのあとに「主イエズスよ、来てください」・・・という答唱の祈りが続きます。

ちょうど同じころ、一団の人びとの唱える賛歌が聞こえ、一日の終わりの日ざしが樹木や窓を通して、さしこんでいる礼拝堂のとなりの部屋では、召命と約束、奉献と出会いが最終的に成就されようとしています。御聖体の宣教クララ修道会の創立者、マザーマリア・イネス・テレサは、一段と強められた愛の行為のなかで、ちょうど午後七時、彼女が一生を通してこよなく愛した父なる神のみ手のなかに、その魂をゆだねるのです。彼女は、聖霊を通して神の栄光と霊魂の救いのために、キリストと結ばれ、はん祭のいけにえとして自分をささげるのです。

臨終前、最後の言葉は、「わたしたちは成しとげました。神に感謝します。」・・・というものでした・・・神と霊魂をかくも多く愛してきた彼女は、9ヶ月の重い病いの後に、永遠の眠りについたのでした。彼女はその苦しみを教会、教皇及び全世界のために、不断の愛の行為のなかで、「すべての人があなたを知り、愛するようになること、それがわたしの望むただ一つの報いです。」という言葉を射禱(しゃとう)として繰り返しつつ神にささげたのでした。

死の3日前、この世との別れを予知して、彼女は、「恵みの日はあとわずか3日だけです。」と言いました。何故ならば、彼女は苦しみを「恵み」と呼んでいたからです。そして・・・ちょうど3日後に、この世旅路を終えたのでした。

マザーマリア・イネス・テレサは、最後の瞬間まで、好感を抱かせるほほえみのなかに、犠牲、償い、礼拝の生活を秘めていました。そのほほえみは、神の娘であるということを知った喜び、キリストと共に神を隠れ家とする生活、また「神の崇敬に満ちた意志」に完全に添うことで、英雄的行為にまで高められた義務をすべて誠実に遂行するということに基づくものでした。彼女は、「わたしの食べものはわたしの父のみ旨を行うことである。」そして、「見よ!わたしはあなたのみ旨を行うために来た。」とおおせになったキリストと共にたえず生きようと努めました。彼女は、全てのことを本当に飾りけなく行いました。もしそのすばらしい行いをほめたたえようとするなら、どんな人でも彼女がうなずきながら、うつむき気味にほほえみをうかべて「いいえ・・・誰でも本当に主を愛していれば難しいことはありません。」という姿に接するでしょう。

修道生活を送り終えた後、彼女は37年前に宣教クララ会修道女の死に関して書いたことを、直接同じように実現したのです。「Et introibo ad altare Dei Ad Deum qui leatificat juventutem meam すなわち、その幸運の生けにえは、彼女自身の犠牲の祭壇から、おとめだけが歌うことできる愛の新しい(うた)を歌いながら、神の子羊についていくために神の祭壇に渡されるのです。そして、いつくしみ深い神は、彼女の青春、常に新しく、変わることのない永遠の青春を喜びでお満たしになるのです。」(心の竪琴)

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