2014年9月28日日曜日

「ホットひと息」 「6人のその後」



「ホットひと息」 「6人のその後」     シスターL


  派遣された6人の姉妹は、日本語の練習もかねていろいろ話しかけて下さいます。「おはようございます」「夕べはよく眠れましたか」「朝食はすみましたか」以前ならあまり気にかけない言葉でした。自分を振り返ってみて今日はこれをやらなければあれを終わらせなければと思う毎日でした。  

 「どこに行きますか」と言うので「クリニック」と言いましたら「連れて行ってください」「あなたは足が痛くないからダメ」と言いましたら腕をつかんで「お世話します」私にかまわないでという生活を送ってきた私ははっと気づきました。なんと私は自分中心だったことかと。

 地区長様からみんなに6人の姉妹の状況についてお話がありました。日本語の上達についても本人たちに早く、早くという焦りがあるそうです。そして通じているようでもまだまだ通じていないこと。この夏の猛暑に耐えるといったフィジカルな面も考えなければならないことなど。見守る必要があるとおっしゃいました。それを聞きながらパウロの言葉『精神ははやれども肉体は弱し』を思い出し、今まで私をはじめ年配の人に当てはめてきたこの言葉は20歳の姉妹にも当てはめて考えなければならないと思いました。御本人たちは“早く、早く”と思い私たちは“まだか、まだか”と思ってしまいます。メンタルな面だけが走る社会は危険ですね

 

2014年9月21日日曜日

「ホットひと息」   「恵みに生かされて」



ホットひと息」   「恵みに生かされて」

シスターK



私にとって神様との決定的な出会いはひとつの病気を通してでした。

プロテスタントの家庭で育ち、幼い頃から祈ること、日曜日は教会に行く日として当然のことのようにして過ごしてきた信仰生活も、社会人として歩み始めた頃には、生かされていることよりも生きている喜びを満喫し、自己満足の中で信仰をアクセサリーとしていたように思い出されます。     
  

突然のひどい吐血に入院という苦しみを通して、また一ヶ月の面会謝絶の孤独の中で、愛すること、信じること、生きることを問われたのです。空しさと惨めさを味わいながら過ごしました。それからの日々はただ静かに祈りたい!との思いがつのるばかりで、このままでいいのかとあせりが心を覆いました。ある日の夕方、勇気を与えられてカトリック教会を訪れました。温かく迎えて下さったカテキスタの方が、夕ミサが始まることを教えて下さり、緊張のうちに聖堂に入りました。「ミサ」については何も知らない私です。

いきなり「主よ、あわれみたまえ」と祈りの声が耳に響いてきました。回心の祈りです。感動しました。まさに探し求めていた祈りでした。こんな人間を許し、生かしてくださっている、ありのまま受け入れて下さる神様の愛、神様の存在。回心の祈り、許しによって深められていく「ミサ」。嬉しさと解放感で涙が流れてとまらなかったことを覚えています。素晴らしい恵みでした。その翌日から朝六時半のミサに毎日通うようになりました。御聖体拝領なさるシスターの姿を眺めながらうらやましさとこれからの道への思いをめぐらしておりました。



改宗して一年すぎた夏、カトリック新聞を通して宣教クララ会企画の研究会を知りました。テーマ「私の道は・・・結婚?独身?修道生活?」に待っていましたとばかりに参加を申し込み、軽井沢の修道院に行きました。数年前アフリカで亡くなられたフランシスコ会のコンラド神父様との出会い、明るく喜んで奉仕しておられたシスター方との出会いによって修道召命の確信を与えられたのです。全て恵みです。日本に百近くあると言われている女子修道会の中で一つの会に出会うことはやはり神秘です。


宣教クララ会は創立者の望みに従って「喜び」「単純」「マリア的」「聖体的」霊性を祈りと典礼生活、共同生活を通して生きようとしてきます。これからも日々新しい心で、主の道を整え、その道筋をまっすぐにする為に頂いていますいのち、修道召命の恵みを感謝し、いきいきと主の愛に応えていくものとなりますように。




2014年9月14日日曜日

「ホットひと息」 ただいま「よびかけ」参加者募集中!



「ホットひと息」 ただいま「よびかけ」参加者募集中!


皆さんの一番知りたいことは何ですか?

洗礼を受けた方なら誰でも一度は考えること、それは神様の望まれる「私の道」は?

9月7日に行われた一日召命黙想会で、神父様云く「私が神学生の時、養成の神父様から“神様の声は小さいからよく聴かなければ聞こえない。”と言われたが、神様は私たちに聞こえるように話してくださっている。ただ私たちには雑音がありすぎて聞こえないだけ。」

なるほど・・自分自身を振り返って本当にそう思います。私も神様のみ旨を探し続けてン年も荒れ野(?)をさまよいました。そして神様のみ旨ではなく自分の思い、望みを追い求めていたことに気づかされたのです。それは恵みの日、ンン年前の本会の「よびかけ」のご聖体礼拝の時でした。

ここで黙想会の宣伝を。真剣に自分の道を探しているあなたへ。私たちは日常を離れ、自分を今ある場に置いて、神様のみ前で祈るひとときが必要なのではないでしょうか?

召命イコール「修道生活」と考えるあなたへ。神様は、それぞれの人にふさわしい道を通って、ご自分のもとに導いていらっしゃいます。ある人は結婚生活、ある人は修道生活、ある人は独身生活(信徒使徒職)という道を通って、すべての人が聖性への道に招かれているのです。考えるなら“今” ぜひ10月に行われる本会の「よびかけ」にご参加下さい。(詳細はポスター参照) 皆さんからのご連絡を心からお待ちしております^-^


2014年9月7日日曜日

召命体験記



召命体験記(シスターTJ

  神様の呼びかけはとても神秘です。なぜなら皆一人ひとり違うからです。今日は、本会の有期誓願者の一人に召命体験を書いてもらいました。


 私は、子どもの頃から“いい人”になりたいという望みをもっていた。実際には、自己中心的で、両親にも反抗的な子どもだったが、その望みだけはずっともちつづけて生きていた。

 17歳の頃、インドのマザー・テレサが、マスコミに登場しはじめた。彼女の本を読んで感動した。が、尊敬するべき人ではあるが、私からはとてもかけ離れている人のようにみえた。

 25歳の時、日本の修道女が主人公として描かれている小説に出会った。彼女は、アフリカのマダガスカル島で、修道院の経営する産院の産婆として働いていた。いったい自分に何が起こったのか自分でも理解できない程、上・下二冊のその小説に没頭し、何度も繰り返して読んだ。主人公の考え方、言葉、生き方に心を惹かれてしまった。

彼女の、貧しい人々を助けて生きる生き方は、確かに私の望む“いい人”の生き方なのだ。しかし、私が惹かれたのは、そのもっと向こうにあるものだった。彼女は、すべてのことをただ、神様、主イエス・キリストの為にやっているという。それはどういうことなのか、まだ、信者ではなかった私には、本当には理解できない発想だった。それなのに、彼女の存在が私から近い人に感じられた。そして“彼女の生き方は、なんて、素敵なんだろう。私も彼女のように神様の為に生きたい・・・”という印象を私に残した。その時、修道女の生き方に強い憧れを抱いた。


 とはいえ、すぐに決断とはいかなかった。“一生を捧げるのは難しいけど、2年なら・・・”と、海外ボランティアに参加したり、結婚や、他の道もあるのではと、捜してみたが、修道女への憧れが心を離れることはなく、ある日決心し、洗礼へと導いて頂いた。
 




主の恵みによって本会と出会い、洗礼から1年半後、入会させて頂いた。“なぜ、もっと早くに決断できなかったのか”、と人間的な後悔は度々頭をよぎるが、忍耐強く待ち続けて下さった、主イエス・キリストに心から感謝しながら生きている。