2022年7月31日日曜日

            シノドス


シノドスとは「ともに歩む」という意味のギリシア語で、一定時に会合する司教たちの集会のことです。



            第16回通常総会202110月〜2310月に開催されています。  
 

    テーマ:「ともに歩む教会のため——交わり、参加、そして宣教」

     今月はシノドスのために祈りを続けましょう。


Adsumus Sancte Spiritus(聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立っています)

聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立ち、

あなたのみ名によって集います。

わたしたちのもとに来て、とどまり、

一人ひとりの心にお住まいください。

わたしたちに進むべき道を教え、

どのように歩めばよいか示してください

弱く、罪深いわたしたちが、

一致を乱さないよう支えてください。

無知によって誤った道に引き込まれず、

偏見に惑わされないよう導いてください

あなたのうちに一致を見いだすことができますように。

わたしたちが永遠のいのちへの旅を続け、

真理と正義の道を迷わずに歩むことができますように。

このすべてを、いつどこにおいても働いておられるあなたに願います。

御父と御子の交わりの中で、世々とこしえに。

                       アーメン

               (カトリック中央協議会 から抜粋したものです)

                

                         これからも共にお祈りを続けましょう。



2022年7月5日火曜日

7月6日 聖マリア・ゴレッティおとめ殉教者

 7月6日は聖マリア・ゴレッテイおとめ殉教者の記念日となっています。

 マリア・ゴレッテイは1890年、イタリアに生まれました。両親は宗教心の熱心な方で、わずかな土地を耕し、細々と生活していました。1896年、ゴレッテイ一家はパリアーノに移住しました。その後、1899年、ルーフェリエルの共同農場内に引っ越し、ジョワンニ・セレネリ氏とその息子と同じ家に住んでいました。

 1900年、引っ越ししてから1年後ゴレッテイのお父さんが亡くなりました。そのために、お母さんが畑と家庭の仕事で追われていました。それでも、子どものために疲れ知らずに働いていました。その時、ゴレッテイはそのお母さんの大きな助けとなりました。たった、10歳のゴレッテイは食事の支度から洗濯、小さな兄弟の世話やお掃除まで、まめまめしく働いていました。1901年、11歳の時にゴレッテイは初聖体をしました。

 しかし、1902年7月5日、12歳のマリア・ゴレッテイにセレネリの息子アレッサンドロが襲い、わいせつな行為を必死に否定して抵抗したゴレッテイの体を14か所も短刀で突き刺して、そこから去ってしまいました。悲鳴を聞いた近所の人々が横たわって血まみれのマリア・ゴレッテイを見つけ、お母さんを呼んだ後、病院に運ばれました。当時の医療が許されていたことをゴレッテイにされましたが、苦しい15時間後、天に召されました。

 死ぬ前に、お母さんに「アレッサンドロを赦してあげてくださいね。いつか天国で、また会いたい」と話し、アレッサンドロを赦したと言われています。後にそれを知ったアレッサンドロは改心し、かプチン会修道院に入り、門衛を務めながら罪を償いをしました。

 1950年、教皇ピオ十二世はマリア・ゴレッテイを聖人の位に上げました。その列聖式に列聖されるマリア・ゴレッテイの母親は参列しました。母親は自分の娘の列聖式に参加することは初めてであったかもしれません!


1929年、ジュゼッペ・ブロヴェッリ=ソッフレディーニによる絵画、と聖ヨハネ・パウロ二世による祈り。