2021年8月15日日曜日

 

平和のために

 

8月には、6日に広島の原爆、9日に長崎の原爆、15日に終戦記念日を迎え、戦争のない世界を願いながら平和のために祈る日々を過ごします。平和のために祈る以外、わたしには具体的に何ができるでしょうか?今置かれた場で、わたしは平和のために働く者となっているでしょうか?

 

          神よ、わたしを平和のために働く者としてください。

憎しみあるところに愛を

争いあるところにゆるしを

分裂あるところに一致を

疑いあるところに信仰を

誤りあるところに真理を

絶望あるところに希望を

闇あるところに光を

悲しみあるところに喜びをもたらす者としてください

アッシジの聖フランシスコ「平和を求める祈り」より

           わたしたちの修道会の創立者、福者マリア・イネスは、修道会創立の認可を受けた4ヶ月後に、早くも日本に4人の宣教女を派遣しました。それは70年前のことです。当時日本は敗戦の傷跡がまだ深く残っていて、多くの人々は苦しい生活を強いられていました。このことを知った福者マリア・イネスは、日本で修道会を創立したいと望んだほど、その心は日本の人々への思いで一杯でした。そして最初の宣教地となったのは、満州から命がけで引き上げてきた人々が浅間山麓を開墾して作った村、大日向でした。そこで、大日向の人々と苦楽を共にする生活が始まったのです。詳しくは、動画「来日70周年」 https://youtu.be/7lkrM7KYHNgをご覧下さい。

2021年8月1日日曜日

「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」第2回




生きる

 イエスは自分こそイザヤが預言した救い主であり、捕らわれている人を解放し、目の見えない人の視力を取り戻し、すべての被造物に神のいつくしみ深い愛を告げるために油を注がれた者であると、イエスは告げました。そして「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ421)と断言したのです。

 福音の喜びは、神との出会いと兄弟姉妹との出会いに向けてわたしたちの心を開きます。しかしその喜びは、ぐずぐずと怠けているわたしたちを待ってはくれません。もっとふさわしいときを待っているのだと言い訳をしながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに今日、選択しなければ、福音の喜びはわたしたちのもとで実現しません。今日こそ召命のときです。キリスト者の使命は今現在のためのものです。そしてわたしたち一人ひとりは――結婚して信徒として生きるにしても、叙階されて聖職者として生きるにしても、また特別な奉献生活を送るにしても――、今ここで主のあかし人となるよう求められています。

主は今も、ご自分とともに生き、とりわけ親しい交わりの中でご自身に従い、直接仕えるよう呼びかけておられます。み国のために完全に自分自身を捧げるよう主が求めておられることが知らされても、決して怖がらないでください。神のために、そして兄弟姉妹への奉仕のために永遠に自らをすべてささげることは素晴らしいことであり、偉大な恵みです。

 主はご自分に従うよう、今日も絶えず呼びかけておられます。その声を聞き、教会と世界における自分の使命を識別し、神が与えてくださった今日この日に、その使命を生きるのです。

教皇フランシスコのこの言葉は、福者マリア・イネス・テレサの2つの考えに集約されます。「イエスの "来なさい "という言葉には、常にその "行きます "という言葉を速やかに、喜びをもって、喜んで答えること」です。(霊的黙想)

"私たちは主のものであり、主は私たちを呼び続け、主の恵みで私たちを満たしたいと思っておられます “。(971423)

 人となられたみことばを聞き、受け入れ、生きた辺境の地の少女、至聖なるマリアがわたしたちを守り、わたしたちの旅路にいつも寄り添ってくださいますように。

 

55回「職業のための世界祈願日」の教皇メッセージより抜粋