2024年2月23日金曜日

希望の火を守り続ける

 

主の奉献の祝日


     教皇フランシスコは2日、聖ペトロ大聖堂で「世界奉献生活の日」のミサを捧げられ、世界中から集まった男女修道会の代表たち、そしてすべての男女修道者に対して、「聖霊によって動かされることに常に心を開き、福音に従って神への切望に改めて目覚める習慣を育てるように」と促された。

 教皇はミサ中の説教で、「内なる生活を守り、福音に従って、命の光と希望であるイエスを抱く」ことで、「辛抱強く、心の警戒を怠らず、粘り強く祈りながら待ちなさい」と呼びかけられた。

 


*警戒と忍耐

  そして、預言者マラキによって告げられた主の到来の預言的な予感、つまり「あなたがたが求めている主は突然、その神殿に来られる。あなたがたが喜びとしている契約の使者が、まさに来ようとしている」(旧約・マラキ書3章1節参照)を振り返りながら、聖霊によって啓発され、神を認識するシメオンとアンナの姿に注意を向けられた。

 「主は、マリアが神殿に入るときに腕に抱いている子供のようです。シメオンとアンナという高齢者夫婦が辛抱強く待ち、霊的な警戒を怠らず、粘り強く祈り続けていた姿を観想するのは、私たちにとって良いことです。 彼らの心は永遠の炎のように、目覚めたまま。歳は取っていても、心は若いのです」と強調。

 「シメオンとアンナが希望の炎を守り続ける力は、気を散らすものに満ちた今の世界で、期待を込めて神に目を留め続けるようキリスト教徒に教えています。人生の旅路の中で、彼らは困難や失望を経験しましたが、敗北に屈しませんでした」と指摘された教皇は、「彼らはその子を見つめながら、時が来たこと、預言が成就したこと、唯一の神がおいでになったことを知ったのです。自分たちが切望していたメシアが到来したのです」と説かれた。

 さらに教皇は、「主を待ち望み、目を覚ましていることで、彼らは主の到来を歓びをもって迎えることができる」と強調される一方で、自分自身のことにとらわれ過ぎ、日常生活の忙しさに追われ、神の絶え間ない臨在を認識できないようになりかねない、キリスト教徒の現状に懸念を示された。

 そうすることは「 魂を麻痺させ、失望と諦めの暗い隅に希望を閉じ込めてしまう」とされ、「心が眠ってしまわないように」と警告された。そして、「激しい生活リズムのせいで、心を開いて神の啓示と臨在を待ち望むことの重要性を忘れてしまっていないか、自問するように」と勧められた。

 

*待つことに障害となるもの

  教皇は続けて、「待つ」ことの障害となるものを2つ挙げられた。

  1つ目は「内なる生活の軽視」であり、それによって「疲労」が「驚き」に取って代わり、「苦い思い」が「感謝」の影を覆い隠してしまう、と指摘。 2 つ目は、「スピード、行動主義、目先の満足の追求を特徴とする世俗的なライフスタイルに適応すること」とされた。

 そして、「このような今の世界の状況、異教の時代において、『待つ』ことは、スピードを緩める強い意志が必要になる。『沈黙』が失われたところで『待つ』ことは容易ではありません。なぜなら、それには健全な受動的な姿勢、自分のペースを緩める勇気、活動に圧倒されない勇気、神の行動のために自分の中に余地を作る勇気が求められるからです」と説かれた。

  また「待つ」ためには、「失われた恩寵を取り戻すこと、つまり、熱烈な『内なる生活』を通じて、礼拝と祈りと聖霊によって養われる、喜びに満ちた謙虚さ、沈黙の感謝の精神に戻ることが必要です。神への憧れが再び目覚めるように」と語られた。

  教皇は続けて、「世俗の精神が、私たちの教会共同体、教会生活、そして私たちの個人的な歩みに入ってこないようにしなければ、私たちが実を結ぶことはありません」と注意され、「待つ」精神を養うよう呼びかけ、 「祈りと日々の(主に対する)忠実さによって成熟することで、『待つ』ことは、私たちを『効率性の神話』『人目に付く行為への強迫観念』、そして何よりも『神を pigeonholing(棚上げする)』振る舞いから解放します。なぜなら神は常に予測できない方法で、私たちが選ぶか、選ばないかに関係なく、お現われになるからです」と説かれた。

 最後に教皇は、「 シメオンに倣い、私たちも、新しさと驚きの神である御子を迎えに行きましょう。 主を迎えることで、過去は未来に開かれ、私たちの中にある古いものが、主が目覚めさせた新しいものに向かって開かれるのです」とされ、 「私たちも休むことなく、シメオンとアンナのように、聖霊によって動かされましょう。 彼らのように、未来に期待を持って生き、内面の生活を守り、福音に従って生きるなら、私たちは人生の光であり希望であるイエスを抱くことができるでしょう」と語られて説教を締めくくられた。

2024年2月2日金曜日

これは何ですか

 

世界奉献生活の日

World Day for Consecrated Life(世界奉献生の日)は、1997年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって制定され、毎年2月2日に祝われます。

この日は、全教会が「福音的勧告」の実践をとおしてキリストに従うことを選んだ人々のあかしをもっとよく認め、また聖別された人にとっては、自分たちの奉献を新たにし、主への献身の力の源である熱心さの炎をいっそう燃やすための機会となることを意図しています。

教皇はこの日を制定した目的を3つのべておられます。

  1. 聖別奉献生活という賜物を与えてくださった主を賛美し、感謝すること
  2. すべての人が聖別奉献生活の価値をよりよく知るようになること
  3. 奉献生活された人たちが、主が与えてくださった業のために共に集まり、祝うこと

キリスト教マメ知識女子パウロ会より)



これから、わたしたちもこの日、奉献生活者のために祈りましょう、今年の教皇フランシスコのメッセージを分かち合いたいと思っています。ぜひブログをご覧ください。