2014年12月19日金曜日

ホットひと息   「神様の赤ちゃん、もうすぐ誕生」

 ホットひと息  「神様の赤ちゃん、もうすぐ誕生」

                                                         シスターL
   
    日々、私たちは様々なニュースを耳にします。日本人3人がノーベル賞をもらったこと、
富岡製紙工場が世界遺産に登録されさらに国宝にも指定されたこと、被災地の現状等々。又、
個人でもいろいろなニュースを受け取ります。この度、異動いたしました、引っ越しました、
娘が大学に合格しました、等々。しかし、赤ちゃんが生まれましたというニュースほど心を
和ませるものはありません。
   
町の商店街にはクリスマスキャロルが流れ、クリスマスケーキの注文を  受けています。
クリスマスツリーはライトアップされ道行く人を楽しませています。世界は神様の赤ちゃんが
生まれたことを知らせています。

   今から2000年前、神様の赤ちゃんイエスキリストはイスラエルのベトレヘムと言う町で生まれました。その頃人口調査の命令が出てナザレに住んでいたヨゼフとマリアは登録するためにベトレヘムに行きました。身ごもっていたマリアはそこでイエスを
生みました。あちこちから大勢の人がベトレヘムの町に集まったので旅館が空いてなくて
馬小屋で生みました。このニュースは最初に羊飼いに知らされました。それから全世界に広まりました。

   教会では毎年イエス様の誕生を祝っています。今年はクリスマスに教会に行きませんか。




2014年12月11日木曜日

軽井沢修道院の冬



軽井沢修道院の冬

   

          浅間山に3回雪が降ったら、里にも冬将軍の到来!と言われているので、浅間とにらめっこしながら、落ち葉かきや球根植え、野沢菜の収穫、タイヤの交換などなど、晩秋は冬の準備に大忙し。そして本格的に雪が降ってくると、毎日、雪かきに追われます。ほとんど黙想者もいない軽井沢修道院の冬は、シスター皆、冬眠しています。と言いたいところですが、雪かきのほか、野沢菜漬け、ジャム作り、全館の大掃除、そして、シーズン中は出来ない黙想など、結構忙しいのです。

     雪と氷に閉ざされた日々、それでも、美しい自然は、私達をおおいに慰めてくれます。霧が凍って出来る霧氷は、満開の桜にも勝る美しさ、真っ白な霧氷の花に覆われた森は、何度見てもうっとりします。雨が凍って出来る雨氷は一面をガラス細工に仕立て上げます。

 













   真っ青な空のもと、キラキラ輝く雨氷の景色は、この世のものとは思えません。雪の朝、窓の外は、まるでクリスマスカードの世界。どの窓から景色を切り取っても、素敵なカードが出来そうvです。そして足元を見ると、そこには無数の模様が、そう、動物たちの足跡です。リスやキツネの足跡はすぐわかります。どうやら、もっと大きい動物もお出ましのようで・・・。にぎやかな夜中の光景を、一晩中起きていて見ていたいと思いながら、決して実行しない私なのです。おしまい。




2014年12月3日水曜日

「ホットひと息」  「神様のまなざしの中で」



「ホットひと息」  「神様のまなざしの中で」  

シスターL     



   11月は典礼歴では死者の月で、死についていろいろと思い巡らす機会がありました。今まで支部修道院におりましたが、3年前に本部修道院に異動したおかげで会員の病気や死に直面致しました。何度となく病院に足を運びもう何もできなくなって横たわっている姉妹を見舞いました。元気いっぱいだったころの姉妹を思いすべては過ぎ去る感を強くいたしました。

 人から良く思われようと悪く思われようと好かれようと嫌われようと関係なく今は病気です。人間のレベルで重要な仕事をしようと院内の目立たない仕事をしようと今は同じ病気です。そしてイエズス様の声が聞こえました。「私の父に祝福された人、天地創造の時からあなたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたは私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた。」

 人間は最終的には他人のことなどかまいません。忘れ去っていきます。そのようにして人生で多くの人と出会い別れてきたのです。しかし神は記憶しています。これはあまりに神秘で実感がわきません。しかし何と慰めに満ちた言葉でしょう。私のすべてを知っている方がいるということは何と心強い事でしょう。許されたことの数々、許したことの数々許しを願わなければならないことの数々。神は全てご存知です。まさにこの世から永遠が始まっています。

 やがて私も聞くでしょう。「主よ、いつ私は飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て,お訪ねしたでしょうか。」そして私も知るでしょう。あの日あの時、神の眼差しが私の上にあったことを。