2021年8月1日日曜日

「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」第2回




生きる

 イエスは自分こそイザヤが預言した救い主であり、捕らわれている人を解放し、目の見えない人の視力を取り戻し、すべての被造物に神のいつくしみ深い愛を告げるために油を注がれた者であると、イエスは告げました。そして「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ421)と断言したのです。

 福音の喜びは、神との出会いと兄弟姉妹との出会いに向けてわたしたちの心を開きます。しかしその喜びは、ぐずぐずと怠けているわたしたちを待ってはくれません。もっとふさわしいときを待っているのだと言い訳をしながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに今日、選択しなければ、福音の喜びはわたしたちのもとで実現しません。今日こそ召命のときです。キリスト者の使命は今現在のためのものです。そしてわたしたち一人ひとりは――結婚して信徒として生きるにしても、叙階されて聖職者として生きるにしても、また特別な奉献生活を送るにしても――、今ここで主のあかし人となるよう求められています。

主は今も、ご自分とともに生き、とりわけ親しい交わりの中でご自身に従い、直接仕えるよう呼びかけておられます。み国のために完全に自分自身を捧げるよう主が求めておられることが知らされても、決して怖がらないでください。神のために、そして兄弟姉妹への奉仕のために永遠に自らをすべてささげることは素晴らしいことであり、偉大な恵みです。

 主はご自分に従うよう、今日も絶えず呼びかけておられます。その声を聞き、教会と世界における自分の使命を識別し、神が与えてくださった今日この日に、その使命を生きるのです。

教皇フランシスコのこの言葉は、福者マリア・イネス・テレサの2つの考えに集約されます。「イエスの "来なさい "という言葉には、常にその "行きます "という言葉を速やかに、喜びをもって、喜んで答えること」です。(霊的黙想)

"私たちは主のものであり、主は私たちを呼び続け、主の恵みで私たちを満たしたいと思っておられます “。(971423)

 人となられたみことばを聞き、受け入れ、生きた辺境の地の少女、至聖なるマリアがわたしたちを守り、わたしたちの旅路にいつも寄り添ってくださいますように。

 

55回「職業のための世界祈願日」の教皇メッセージより抜粋




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