2021年4月20日火曜日

「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」

 

復活祭の第4日曜日は「良き羊飼いの日曜日」と呼ばれ、召命のために祈る日となっています。教会は、すべてのクリスチャンが、今ここで主の証人となるように召されていることを忘れないようにと呼びかけています。そこで、教皇フランシスコの言葉を通して、私たちの人生に対する神の呼びかけを発見するための3つの基本的なステップを思い出したいと思います。

わたしたちは偶然生きているわけでも、無秩序に連なった出来事の結果として生きているわけでもなく、神の召命の実りとしてこの世に存在し、生きています。

 神はつねにわたしたちに会いに来られ、愛と幸せを切望するわたしたちの思いを受け止め、喜びへと招いてくださいます。一つひとつの召命は、個人としても、教会としても、多様で比類のないものであり、わたしたちは天から呼びかけているそのことばを聞き、識別し、生きなければなりません。そのことばは、わたしたちの能力を活かし、わたしたちをこの世における救いの道具にし、幸福の充満へと導いているのです。

 これらの三つの要素――聞き、識別し、生きる――は、イエスの公生活の始めにも当てはまります。イエスは荒れ野で祈り、試練を受けた後、ナザレの会堂を訪れ、そこでみことばを聞き、御父から託された使命の内容を識別し、自分はそれを「今日」実現させるために来たと宣言したのです(ルカ41621参照)。

聞く

 主の呼びかけは、日々の生活の中で見たり聞いたり触れたりするもののように、はっきりとしたものではありません。神はわたしたちの自由を抑圧することなく、静かにそっと来られます。

 したがって、主のことばと生き方に心の底から耳を傾ける心備えをし、さまざまな出来事を信仰のまなざしで読み解くことを学び、聖霊からもたらされる驚きに心を開く必要があります。

識別する

 イエスは、ナザレの会堂でイザヤ書の一節を読んだ後、ご自分の使命の内容を識別し、救い主を待ち望んでいる人々にそのことを告げます。イエスはその使命のために遣わされたのです。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ41819)。

  そしてわたしたちは、キリスト者の召命にはつねに預言者的な側面があることに気づきます。聖書に記されているように、預言者たちは、回心と希望と慰めのことばを神の名において伝えるために、物的に非常に困窮している人々や、霊的、道徳的な危機にひんしている人々のもとに遣わされます。

 さらには主がどのような場所や手段や状況を通して呼びかけておられるかを交わりの中で見いだすために、わたしたちは今日も識別と預言を切実に必要としています。キリスト者は皆、いのちの「内面を読み取る」力をはぐくみ、主がどこで、どのようなかたちでご自分の使命を受け継ぐ者となるよう呼びかけておられるかを見極めなければなりません。

 55回「召命のための世界祈願日」の教皇メッセージより抜粋

 


 続いて 第2部は

主の呼びかけを生きるとういう テーマを 深めていきましょう。


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