私が住む町
私どもの修道院は、幼稚園を運営しております。こちらにも約二割の外国人の子供がおります。両親は、日本語がおぼつかなくても子供は教室の中で不自由なくコミュニケイションが出来ております。顔は外国人の顔で、餅つきの時は杵をもって、また“ひな祭り”の歌を元気よく歌っているのを聞いて感動します。この子たちは二つの文化の中で幸せに生きていってほしいと心から祈っております。私たちはお互いの違いを認めながら、なおかつ共に生きる道を探っています。
今はコロナ禍で教会でも人数制限がありますが、まだコロナが始まっていないころのこと、教会に庭で一人のおばさんが転びました。その時、スマホをしていた外国人の青年たち二人がその音と共にさっと立ち上がりすぐにおばさんの元に駆け付けました。それを見て私は慰めと励ましを受けました。
日本で生まれた子供は日本の習慣の中で成長しますのでご両親との関係の中でギャップも出てきます。私たちは微力ながら耳を傾け良い方法を探しています。宣教者として、悲しみや喜びを共にする道を神様は下さっています。ささやかではありますが、大泉という町の中にある修道院として、人々の中の灯台となりたいと願っています。
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