2021年9月22日水曜日

キリストは生きている


召命

 人間は誰も一つの召命を持って生まれてきます。人は、人生の途上で必ず、自分に与えられたその召命を選択しなければなりません。


 あなたの召命は、単純に、あなたの果たすべき職務もちろんそれによって表されるものですが|だけで成るものではありません。それ以上のものです。多くの努力や数々の行為を、仕えることへと向かわせる道筋なのです。だから召命の識別において重要なのは、社会に対するそうした具体的な泰仕に必要な資質が、自分にあると気づけるかどうかです。
 それにより、そのような任務にはとても大きな意義が生じるのです。それらが、お金を稼ぐため、無為に過ごさないため、他者を喜ばせるためといった、もろもろの行為の積み重ねであることをやめるからです。わたしたちは呼ばれたのだから、そうしたことすべてが召になるのであり、そこにはわたしたちの実用的な選択以上のものがあるのです。究硫的には、なぜ自分が造られたのか、この地上で何をして過ごすのか、わたしの人生に主が望むものは何かを、知るということです。 主はわたしに、場所や時や詳細を、すべて伝えてはくださいません。 それらはわたしが賢明に選択するものです。 ただし、主はわたしの創造主、わたしの陶工であられるのですから、わたしに示してくださる人生の指針があるはずで、わたしは、主によって形成され、主に導かれるために、その声に耳を傾けなければなりません。それができれば、わたしはなるべき自分になり、自分に固有の現実に対してまっすぐに向き合えるでしょう。

                       教皇フランシスコ  使徒的勧告 「キリストは生きている」より








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