2021年5月9日日曜日

聖母マリアと召命のプレセント(その②)


 違う道を探そう。でも忘れられない。・・・そんなこんなで8年が過ぎたある夜、「ぐずぐずしているうちに時間は過ぎてしまう。修道院だって年齢制限があるかも知れない!」 とシスターTの心が高ぶり、修道女になるために洗礼を受けることを決心しました。そして教会の入門講座で勉強始めたのです。1年間の勉強で、”小説の主人公の生き方はイエス様が教えた生き方だったのだ” “主人公の彼女を通して主イエス・キリストに魅了されたのだ” とシスターTは気づいたのでした。 

 洗礼を受ける3か月前、知り合った信者のご婦人に、“修道女になりたい望みがあるが修道女の知り合いもなくどうやって探したらいいか考えている” とお話ししたところ、次にお会いした時本会の“召命黙想会”の案内が載っているカトリック新聞の切り抜きを持ってきてくださいました。シスターTはそれに申し込みました。そこで初めて出会った修道女は明るく気さくだったので安心しました。参加者との交流もありとても和やかな雰囲気の中行われた黙想会初体験の印象はとても良いものでした。他の黙想会にも参加しました。黙想会に参加する度にイエス様のことを想いながら祈ることに心地よさを感じ、世俗のことはむなしいことに思えました。自分の全てを賭けてイエス様に付いて生きていきたい望みは揺るぎないものであることを徐々に確信していくことができました。





  ところが、また迷いが始まりました。召命黙想会で知り合った参加者が話していた「私は呼ばれているような気がする」というフレーズ、ずっと聞き流していたのに、急に気になりはじめたのです。 “イエス様が夢に出できたこともないし、ささやきを聞いたこともないので、私は呼ばれているような気がしない!” ただ私自身の望みを実現したいために押しかけて行くことをイエス様は喜んでいないのでは? そんな考えが頭から離れず心が揺らぎ始めました。先のご婦人にそのことをお話しすると、指導を受けるためにある神父様を紹介してくださいました。霊的指導を引き受けてくださった神父様のお答えはこうでした。「“ずーっと気になってしょうがない”  “忘れられない”  そのことを   “呼ばれている”  というのです。」 その言葉を耳にし、迷いから解放されました。


 本会の召命担当の方の導きに助けられて入会に至ったのは、あの小説との出会いから15年後の40歳の時でした。マリア様の「即答」には程遠いシスターT の「はい」でしたが、それから16年経った今もシスターTは、神様からプレゼントされた修道召命と、それを導き育んでくださった方々に感謝しています。そして召命は入会して終わりではありません。日々神様への「はい」を果たすためには自我との戦いがあります。シスターTは度々自分の弱さに負けますが、その度に新たに生まれ変わる力をイエス様から頂いています。呼んでくださったイエス様に少しでも喜んでいただける修道女になることが唯一の望みです。 

 


イエス様の呼びかけかたは多種多様です。

       5月、マリア様の月。マリア様の召命を想い巡らしながら、

「わたしはどうかな?」と少し考えてみてはどうでしょうか。

天使ガブリエルに代わる“サイン”に気づくかもしれません


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