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2022年9月11日日曜日

「神様は、一人一人の人生の歩みを導いて下さいます」 (その①)

シスターゴレッティ

 神様は、一人一人の人生の歩みを導いて下さいます。生まれてから神様のみ許に帰る時まで と言うことです。その一つとしての私の歩んできた道に、神様がどのように働きかけどのように導いてくださったかをお知らせしましょう。その時その時、私自身はそれを全く意識していなかったのですが、後になって 全ては神様がなさったこと、導いてくださった、歩かせてくださった道だったと、強く強く確信しています。

  

 私は、あなたの宗教は?・・・と聞かれれば「仏教です」と答える“仏壇と神棚”が並んであるのがなんの不思議も感じない、当時の日本の平均的な普通の家庭に生まれました。父と母 姉と私 弟二人の六人家族でした。一番影響を受けたのは、当時日本が直面していた“戦争”でした。戦争の末期 特に19453月から ほぼ毎晩、日本のどこかがアメリカ空軍の飛行機の空襲を受けて、人々が逃げまどう日々がつづきました。現在のウクライナの方々と全く同じ状況ですので、当時を思い出し心が痛みます。 私が住んでいた町が空襲を受けたのは終戦の日の数日前でした。空から焼夷弾(木造の家を焼くための爆弾)が花火のように落ちて来る中を 町中の人が逃げまどいました。道端の農家でひと休みさせてもらって明け方 町に帰ってきましたが、三分のニは焼け野原でした。亡くなった方々 負傷した方々が大勢いらっしゃったのに私の家族は無事でした。幸い私の住んでいた家は焼けませんでしたが、二つの家族が同じ家に住まなければならなくなり、食べるものにも充分なく何かと不自由でした。

 終戦(昭和
201945年8月15日)を迎えました。その時私は今で言えば中学三年生(当時女学校3年生)戦争が終わって学生生活に戻れましたが、戦争中は学徒動員とか勤労奉仕で、殆ど勉強をしなかったので基礎がない上 先生方も十分いらっしゃらず ガリ版刷りの臨時の教科書という悪条件で勉強どころではありませんでした。それでも翌年一応卒業し社会人になりました。日本中の皆んながそれぞれに苦しい生活を余儀なくされた時期でした。
 そうした社会情勢の影響か 私はそれまで全然考えたことがなかった 人が“生きる”ということについてとか 生きる道にはいろいろな道があることなどについて考えるようになり これらについて教えてくれる所はないものかと探すようになっていました。丁度その頃、知り合いの人のお店を臨時に手伝っていたのですがその店にいらっしゃる女の方と知り合いになり、ある時 それらについて話をする機会がありました。そうしましたら その方はカトッリックの信者さんということでした。その方が「それらについて多分私が行っている教会で教えてくれるでしょう」と誘ってくださいました。それが私とカトッリック教会との出会いとなったのです。
 教会の主任神父様の要理研究のグループに入り勉強を始め日曜日のミサにも参加するようになりました。しかし、約一年近くたった頃、いろいろな事情で家が他の町に引越すことになっしまったので勉強の最後の日に挨拶しましたら、神父様が大変残念がって「あなたがこれから行く町にも教会があるからぜひ勉強を続けるように」と教会の住所を書いた紙をくださいました。
 新しい町に引越してやっと落ち着いた頃、私にとって大きな事が起きました。母が急に亡くなったのです。前の町にいた時 一度倒れたことがありそれも引越の原因の一つだったのですが 再発でした。それらの事があって教会に行くことなどすっかり忘れていましたが、母の居ない淋しさに耐えられなくなっていたある時、ふと教会のことを思い出しました。

 神父様からいただいた教会の住所の書いてある紙を探し出して、ある日出かけました。駅を下りて書いてある住所をたよりに教会を探しましたが中々見つけなかったので、あきらめて帰ろうとし、最後にと思って ある女の人に聞きましたら、なんとその方はプロテスタントの信者さんでした。カトリック教会もご存知で教えてくださり直ぐ分かりました。日曜日でしたが昼過ぎでしたので教会には誰も居ないようなので帰ろうと門を出ようとしたその時、神父様が声をかけてくださってお話ができました。私としては前の教会からの勉強の続きというより、母が亡くなったこともあって、どこかで働きたいと言うことを話しましたら、神父様は「シスターがやっている施設だったら、すぐでも働く所がありますよ」と住所を教えてくださいました。シスターとはどのような方達とも知らず教えていただいた所を訪問し働くことなりました。
 仕事は「保育園」で助手をすることでした。私にとって初めての経験でしたが、それがその後の私の一生をかけた仕事になりました。保育士という遣り甲斐のある仕事を発見したからです。 働きながら、シスターと以前していた要理の勉強を続けイエス様の聖心の祭日に洗礼の恵みをいただき信者として歩み始めました。1950618日)・・・

2017年10月28日土曜日

秋の一日

秋 の 一 日

シスターL

 「ねえちゃんがファッション雑誌を買ってきて家族全員驚いた秋」 朝日歌壇に載っていました。皆さんはどんな秋を体験しているでしょうか。私の秋のある一日は養成院の姉妹二人が誓願更新をしたことです。かつての自分を思い出させてくれました。遠い遠い昔のような、また今のような不思議な感じでした。私たちの創立者は言っています。「神から与えられた特別な恵み、すなわち、ご自分の花嫁、ご自分の愛する者となるよう、自分自身を奉献するように呼び掛けてくださったことに喜び溢れるのです。値しないのに選ばれたので、心から無限に感謝しながら、思わず竪琴を響かせるように口から優しい愛の賛歌が出てくるのです」

 3年後彼女たちは終生誓願を立てます。今はいろいろな経験と勉強に励んでいます。日本の文化、日本の習慣、日本の気候、これらを受け入れるのも大変な時もあるでしょう。ゆっくり、ゆっくり、まずは順応してくださいね。それが私の願いです。そして、それからあたりを見回していろいろなアイデアを出してください。応援しています。この修道会も彼女たちに託されるのは確かです。でも重くならないでください。神様が担いますから。

 私たちの現総長は有期誓者に向かって手紙の中で言っています。「あなたは修道会の大きな喜びです。なぜなら、エネルギー、情熱、力、ダイナミズムを与えて下さる方です。このように続けて下さい。業に塩味を付けて下さい。病気や年取った姉妹を力づけて下さい。彼女たちをあなたの力で支えて下さい。彼女たちを助けて下さい。どんなことにも失望しないでください。修道召命を感じた若い時に抱いていた理想に対する大きな情熱を、持ち続けて下さい」

 養成院の5人の姉妹は日本に来て5年目に入りました。私達に大きな希望と慰めを与えています。日本に着いて最初に食べたものはおにぎりです。昆布と梅干のおにぎり。昆布の方がおいしかったそうです。ご飯は何の味もしなかったそうです。今では納豆も、とろろも食べます。ありがとう。日本に来てくれてありがとう。




2015年4月20日月曜日

若い方々と生活して






若い方々と生活して

シスターL

 私は、大学生と一緒に生活しています。これは私たちの修道会の活動のひとつです。共同生活を通しての宣教活動の場です。宗教のクラスをしたり、夜の9時半から簡単なお祈りをしたり、宗教行事への参加を促したりしています。ここから10人以上修道会に入りました。又、食事を作ったり、掃除をしたりして快適な大学生活を送れるようにと務めております。学生たちはそのことをよく理解して感謝してくれています。今はここも別れの季節で卒業したり、いろいろな事情で引っ越していく人もいます。

 

 玄関で最後のお見送りする時はいつもさびしくなります。今日から『ただいま]』とここに帰ってきません。縁あってこの家でともに過ごしました。1年、2年、3年、4年。私の作った食事もおいしいと言って食べてくれました。これからの人生に神様の守りがいつもありますようにと祈らずにはいられません。

  卒業して退寮した姉妹が私たちに手紙を残してくれました。許可を得ましたのでお読みください。


dearest エリザベト会のシスター方

 4年間、毎日ありがとうございました。4年前にこの寮に見学に来させていただいてから今日までこの寮は私にとって安らぎの場でした。帰宅すると『お帰りなさい~』と言って迎え入れてくださったり、温かいお料理で心身ともに満たして下さったり、個人的な悩み事に真剣に耳を傾けてくださったり・・・・たくさんのことを欠かさずして下さいました。私に東京の「家族」を与えてくださった神様と東京生活を根っこからささえてくださったシスター方本当に有難うございました。

 

生意気な言動も多かったと思いますが、いつも変わらず真剣に向き合って下さり、今は『叱られるうちが花』という言葉の意味がわかるような気がします。どれだけ生意気でもシスターの皆さんは優しさを持って教えてくださったからこそシスターを心から信頼できたのだと感じます。これからもそんな人間関係を築けるかしら…・将来に関して不安がいっぱいです。

 

しかし、神様がいて下さるし、シスターや寮生が私の未来をお祈りして下さったのだから前向きに毎日を過ごしていけそうです。今後忙しくなるかと思いますが心は失うことなく頑張りたいと思います。これまで本当に有難うございました。シスターのご健康をお祈りしています。またお会いした時が今から楽しみです。

2014年11月16日日曜日

「ホットひと息」 「死者の月」



「ホットひと息」 「死者の月」


11月は「死者の月」ですね。皆さんの身近な方にも亡くなられた方がいらっしゃいますか?

今は高齢や病気だけではなく、事故や災害に巻き込ませて突然命を失う方も多くなりました。3.11の時、ある少女が教皇様に「なぜ?」と質問して、「私にもわかりませんが、お祈りすることを約束します。」と答えられました。

もし私たちの命がこの世だけで終わるのであれば、時として「なぜ?」と問いたくなりますが、それが神様のご計画であり、永遠の国への招きだとしたら、私たちはその現実を空の手で受け取るだけです。

「体の復活」と「永遠の命」を信じている私たちにとって、この世の命の終わりは、来世の命の始まりだとも言えます。とは言うものの、私のような罪人はすぐに神様の国に入ることが出来るのでしょうか・・? 多くの人々の祈りによって霊魂が清められ、私は始めて神様の顔を仰ぎ見られるのではないかと希望しています。

111日は、諸聖人の祭日でした。聖人たちの力強い祈りに支えられ、私もこの地上で、亡くなられたすべての方々のためにお祈りを捧げたいと思います。(^^

 

2014年10月5日日曜日

「ホットひと息」 「祈りの力」










「ホットひと息」 「祈りの力」
 
10月はロザリオの月なので、今日は私の小さな祈りの体験を書きたいと思います。

神様に祈る時、自己中心的な祈りになりやすいのは私だけでしょうか?

「○○してください」「□□してください」とお願いばかりです。そんな時に助けとなるのがマリア様への祈りです。「この人の言うとおりにしなさい」とイエス様を指し示しながら、私たちの祈りを取り次いでくださるからです。

 


私が入会する前のことですが、イラクとアメリカの戦争がありました。あまりにも多くの犠牲者が出て、世界中が戦争の終結を願っていました。そんな時、東京で戦争終結のための祈りの行進があると聞き、私もそれに参加しました。様々な宗教者たちが、自分たちの祈りを神様に捧げながら行進したのです。祈りの言葉は違いましたが、心は一つでした。「南無妙方蓮華経」「×××××・・・」「天におられる・・・」とある人は太鼓(?)を叩き、ある人は数珠を、そして私はロザリオで真剣に祈りました。もちろん世界中の人々の祈りのおかげだと思いますが、その三日後奇跡的に戦争が終結したのです。私はその時始めて“祈りの力”を感じました。

数年後、私は修道会に入りたいと決意しましたが、修道会から「お祈りしてください」と言われました。何をどのようにして祈ったらよいかわからず、当時あまり祈っていなかったロザリオの祈りを通勤の時に唱え続けました。家族の反対というつらい日々もありましたが、それを乗り越えて修道会に入会できたのは、マリア様のおかげだと今でも感謝しています。

皆さんの中にも、そんな祈りの体験がありますか?もしあるなら、それはきっと神様のみ心に叶ったお祈りだからかもしれませんね。(^‐^)


 

2014年9月21日日曜日

「ホットひと息」   「恵みに生かされて」



ホットひと息」   「恵みに生かされて」

シスターK



私にとって神様との決定的な出会いはひとつの病気を通してでした。

プロテスタントの家庭で育ち、幼い頃から祈ること、日曜日は教会に行く日として当然のことのようにして過ごしてきた信仰生活も、社会人として歩み始めた頃には、生かされていることよりも生きている喜びを満喫し、自己満足の中で信仰をアクセサリーとしていたように思い出されます。     
  

突然のひどい吐血に入院という苦しみを通して、また一ヶ月の面会謝絶の孤独の中で、愛すること、信じること、生きることを問われたのです。空しさと惨めさを味わいながら過ごしました。それからの日々はただ静かに祈りたい!との思いがつのるばかりで、このままでいいのかとあせりが心を覆いました。ある日の夕方、勇気を与えられてカトリック教会を訪れました。温かく迎えて下さったカテキスタの方が、夕ミサが始まることを教えて下さり、緊張のうちに聖堂に入りました。「ミサ」については何も知らない私です。

いきなり「主よ、あわれみたまえ」と祈りの声が耳に響いてきました。回心の祈りです。感動しました。まさに探し求めていた祈りでした。こんな人間を許し、生かしてくださっている、ありのまま受け入れて下さる神様の愛、神様の存在。回心の祈り、許しによって深められていく「ミサ」。嬉しさと解放感で涙が流れてとまらなかったことを覚えています。素晴らしい恵みでした。その翌日から朝六時半のミサに毎日通うようになりました。御聖体拝領なさるシスターの姿を眺めながらうらやましさとこれからの道への思いをめぐらしておりました。



改宗して一年すぎた夏、カトリック新聞を通して宣教クララ会企画の研究会を知りました。テーマ「私の道は・・・結婚?独身?修道生活?」に待っていましたとばかりに参加を申し込み、軽井沢の修道院に行きました。数年前アフリカで亡くなられたフランシスコ会のコンラド神父様との出会い、明るく喜んで奉仕しておられたシスター方との出会いによって修道召命の確信を与えられたのです。全て恵みです。日本に百近くあると言われている女子修道会の中で一つの会に出会うことはやはり神秘です。


宣教クララ会は創立者の望みに従って「喜び」「単純」「マリア的」「聖体的」霊性を祈りと典礼生活、共同生活を通して生きようとしてきます。これからも日々新しい心で、主の道を整え、その道筋をまっすぐにする為に頂いていますいのち、修道召命の恵みを感謝し、いきいきと主の愛に応えていくものとなりますように。