2012年12月12日水曜日

福者 マリア・イネス・テレサにとってのグァダルペの聖母



福者 御聖体のマリア・イネス・テレサにとってのグァダルペの聖母





1924年、グァダルペの聖母のご絵の前で、マドレ・マリア・イネスは特別な恵みを受け、主への完全な奉献への導きを感じました。

「グァダルペの聖母のご絵の御前で、私の霊魂に突然、根底から完全な変化が起こりました。その時、溢れるほど光が注がれ、自分がいかに忘恩であるかに気づかされ、私の数限りない罪が明らかに分かりました。その時、母と娘の間にあったことは書きようがありません。私にその変化を起こさせたものは、メキシコのモレニータと呼ばれるグァダルペのマリアの愛でした。その愛はホァン・ディエゴを思い出させるもので、彼女の服から放った神的な香りはバラの香りでした。・・・その魅力的な言葉に母の愛情が現れていました。

『わが娘よ、か弱い小さなあなたを愛しています。あなたはわたしの懐にいて、私がみまもっているではありませんか。他に必要なものがありますか。』 ですから、天の元后であるグァダルペのマリアが私の母です。」



マリアは創立者といつも共にいてくださり、アヴエ・マリアの修道院で観想生活をしていた時に一つの約束をして下さいました。(1930)  それに促されたことが、後に始まる宣教の大きな事業の力となりました。その約束の言葉は次の通りです。もし神の計らいによって、あなたが宣教の仕事に用いられるならば、私はあなたの行くどんなところにも共にいて、あなたの唇に人々の心を動かす説得力のある言葉を置き、必要な恵みで満たすことを約束いたします。さらに御子の功徳によって、あなたと何らかのかかわりのある人々、それは単に霊的なかかわりのみであったとしても、その人々に、聖性の恵みと、最後まで神の愛にとどまる恵みを与えましょう.この約束を聞いて、マドレ・マリア・イネスが、自らグァダルペの聖母を全世界に愛させようと決心しました。



1943年に、霊的指導者(聴罪司祭)への手紙に次のように書いています。

「青春時代、グァダルペの聖母が私の霊魂にご自分を現し、私を神へと導いて下さり、そして私は修道生活への召命を受けました。聖母がご自分の大いなる愛によって私を引き寄せて下さいましたので、私は余すところなく完全に従いたいほど、彼女に心を奪われました。その時から、私にとって人間的な喜びや満足を得ようとする気持ちが消えてしまいました。そして私の唯一の望みは、もしできるならば、メキシコだけではなく、全世界の人々、すべての霊魂が聖母に魅かれ、聖母を知り、聖母を愛するようになることでした。・・・

聖母を見ると『娘よ、恐れてはなりません。私はあなたと共にどこにでも行きます。

御子を知らない人々に御子を知らせるために、必要な恵みをも私が取り次ぎましょう。ただ、あなたが私に無限の信頼をもってさえいれば、私の愛の力が無限であることがわかるでしょう。私が愛するメキシコの小さい者に愛と優しさを持って現れた時、沢山の驚くべき出来事(奇跡)があり、素晴らしい回心があったように、他の国々も私の小さい者ですから同じことをいたしましょう。ただ、あなたが私に完全な信頼を持って、御子の御血であがなわれた霊魂を求めて行くなら』と言われている気がします。」



この宣教クララ会は、グァダルペの聖母にすべての国々を奉献し、その母の下に、愛と優しさの勝利のトロフィーとして、諸国の旗を置きましょう。今は聖母をまだ知らない人々が後に知るようになり、愛するようになると確信をもっています。

 (今、福者マリア・イネスのこの熱望が実現しています)



「・・・なぜなら、聖母がすべての人々に愛されるならば,自ずと御子が来られる道を準備し、御子が愛の王座に着き、聖体顕示台から治めるようになり、そこから愛の光線を信じることのできない人々の上に放つでしょう。御聖体のイエスとグァダルペの聖母と共に、何千万の人々が唯一の真の神へと回心するでしょう。」



「ああ聖母よ、もし私たちがあなたの御助けを信じ、あなたと一致し、あなたが私たちの霊魂を導き、あなたの光と温かさが私たちの内に生きているならば、私たちは勝利を歌うことに確信をもたないでしょうか。霊魂たちが回心しないことがあるでしょうか。『私たちと何らかのかかわりのある霊魂、たとえ霊的なかかわりのみであったとしても回心しないことがあるでしょうか』それはあなたの純粋な唇から出た言葉、高貴な力あるあなたの約束であるので、それで私たちはあなたを『全能である懇願者』とお呼びするのです。」



生涯に渡って聖母を愛し、聖母と共に生きた創立者マドレ・マリア・イネスの列福が、正にそのグァダルペの大聖堂であったことは大変意味深く、特別な恵みだと思います。

2012年10月30日火曜日

列福式から丁度6ヵ月後の10月21日




全ての人があなたを知り、あなたを愛するように
 


福者 御聖体のマリア・イネス・テレサ

列福式から丁度6ヵ月後の10月21日 午後3時から 東京カテドラル聖マリア大聖堂で、日本地区列福感謝のミサが荘厳に始まりました。スクリーンに写る福者の微笑みが漂う中、聖歌「主をたたえよ、神の司祭、聖なる集い、神の民、天の王子」のコーラスに合わせて、二人の侍者、聖遺物顕示台(髪の毛)を掲げる日本地区長シスター アンヘレス トーレス、司祭団20余名、仙台教区 平賀司教様、そして主司式 東京教区ペトロ岡田大司教様の順に入堂し、祭壇前で全員が一礼して福者の聖遺物に崇敬を表しました。ミサは歌ミサで本会会員のお父様が作曲したミサ曲でした。会衆席は6人掛けを9人掛けにしても補助椅子を出す程の人数で、約800人以上の参列者でした。群馬県、長野県の支部からはバス5台をチャーターし、日帰りという強行軍の参加でしたが皆さんは喜びに満ちていました。修道会創立61年目、創立者帰天31年目を迎えた年、もちろん、本会創立者 福者 御聖体のマリア・イネス・テレサに出会っておられる方々も大勢お出でになりました。


 
ミサに参加されたある方は御父の栄光の光を見たようでしたと語り、又90代の方は生きていてよかった”…などこの福者の感謝のミサに預かり共に喜んでくださいました皆様本当にありがとございました。
なお、福感謝ミサに参加された多くの方の感想聞きたいと思いますので、ぜひコメントをお寄せ下さい。心からお待ちしております。
                         宣教クララ会シスター

2012年10月24日水曜日

イネシアン・ファミリー  バンクラール


御聖体のマドレ・マリア・イネス・テレサはイネシアンファミリーの創立者、バンクラールはイネシアンファミリ一つのメンバー。

バンクラールの紹介

子ども、青少年、青年、大人、

夫婦、病人、高齢者

教会は、御聖体の宣教クララ修道会の会憲を通してバンクラールを受け入れ、そのカリスマを認めます。そして、福音と創立者御聖体のマドレ・マリア・イネスの精神に忠実であるように、バンクラール会員に勧めます。

バンクラールの若者たちが、聖なる選びに応え、神の愛に浦らえられるままになりますように。 「御聖体のマドレ・マリア・イネス」


2012年5月24日木曜日

「家庭の友」の特集記事からマリア・イネスの生涯を追う

「家庭の友」の特集記事からマリア・イネスの生涯を追う


マドレ・マリア・イネス・テレサ・アリアスが生まれたのは190477日。ところは、メキシコ・ナヤリト州・イクストラン・デル・リオ。8人兄弟の5番目。両親は敬虔なカトリック。父は判事。神の前に謙虚、常に深い位の理のうち神と語らっていた。彼女の子供の頃のこんな逸話が残っている。「空の彼方目を向けて祈っている父に、何を祈っているか尋ねたところ、「神様とお話していたのだよ。 私たちは実によく心が通じ合うからね。」と。」そんな家族で、彼女は20歳迄明るく健全な青春を楽しんでいた。



2012年4月22日日曜日

宣教と観想


宣教と観想

・・・わたしは神の祭壇に行こう


1981722日。その日の晩は非常に静かでした。一軒の小さな、古風な・・・、まさしく「彼女」のお気に入りの大層わびしい家が、ローマ市のはずれにありました。その家は月桂樹や他の美しい茂った樹木の生垣で囲まれ、小さな庭の向こうにはほんのわずかばかりのぶどう園があります・・・樹木の上では、小鳥たちが創造主に対する崇敬と栄光の歌を歌っています。平和、落ち着き、そして回想に沈むたたずまい・・・たえず黙想と、被造物を創造主に結びつけようとする招きがあります。「主よ、あなたはそのみ業をもってわたしを喜ばせられ、み手の業を見てわたしはよろこぶ。おお!偉大なるかな、主のみ業は・・・」(詩編91

その家の礼拝堂では、一団の人びとが、主、救い主、そしてあがない主であるイエズスに愛された人、聖マグダラのマリアの晩の祈りをうたっています。マニフィカトがうたわれ、そのあとに「主イエズスよ、来てください」・・・という答唱の祈りが続きます。

ちょうど同じころ、一団の人びとの唱える賛歌が聞こえ、一日の終わりの日ざしが樹木や窓を通して、さしこんでいる礼拝堂のとなりの部屋では、召命と約束、奉献と出会いが最終的に成就されようとしています。御聖体の宣教クララ修道会の創立者、マザーマリア・イネス・テレサは、一段と強められた愛の行為のなかで、ちょうど午後七時、彼女が一生を通してこよなく愛した父なる神のみ手のなかに、その魂をゆだねるのです。彼女は、聖霊を通して神の栄光と霊魂の救いのために、キリストと結ばれ、はん祭のいけにえとして自分をささげるのです。

臨終前、最後の言葉は、「わたしたちは成しとげました。神に感謝します。」・・・というものでした・・・神と霊魂をかくも多く愛してきた彼女は、9ヶ月の重い病いの後に、永遠の眠りについたのでした。彼女はその苦しみを教会、教皇及び全世界のために、不断の愛の行為のなかで、「すべての人があなたを知り、愛するようになること、それがわたしの望むただ一つの報いです。」という言葉を射禱(しゃとう)として繰り返しつつ神にささげたのでした。

死の3日前、この世との別れを予知して、彼女は、「恵みの日はあとわずか3日だけです。」と言いました。何故ならば、彼女は苦しみを「恵み」と呼んでいたからです。そして・・・ちょうど3日後に、この世旅路を終えたのでした。

マザーマリア・イネス・テレサは、最後の瞬間まで、好感を抱かせるほほえみのなかに、犠牲、償い、礼拝の生活を秘めていました。そのほほえみは、神の娘であるということを知った喜び、キリストと共に神を隠れ家とする生活、また「神の崇敬に満ちた意志」に完全に添うことで、英雄的行為にまで高められた義務をすべて誠実に遂行するということに基づくものでした。彼女は、「わたしの食べものはわたしの父のみ旨を行うことである。」そして、「見よ!わたしはあなたのみ旨を行うために来た。」とおおせになったキリストと共にたえず生きようと努めました。彼女は、全てのことを本当に飾りけなく行いました。もしそのすばらしい行いをほめたたえようとするなら、どんな人でも彼女がうなずきながら、うつむき気味にほほえみをうかべて「いいえ・・・誰でも本当に主を愛していれば難しいことはありません。」という姿に接するでしょう。

修道生活を送り終えた後、彼女は37年前に宣教クララ会修道女の死に関して書いたことを、直接同じように実現したのです。「Et introibo ad altare Dei Ad Deum qui leatificat juventutem meam すなわち、その幸運の生けにえは、彼女自身の犠牲の祭壇から、おとめだけが歌うことできる愛の新しい(うた)を歌いながら、神の子羊についていくために神の祭壇に渡されるのです。そして、いつくしみ深い神は、彼女の青春、常に新しく、変わることのない永遠の青春を喜びでお満たしになるのです。」(心の竪琴)

2012年4月15日日曜日

御聖体の宣教クララ修道会の紋章


会の紋章
会の紋章

四つの部分に区切られている。

1の部分は赤地の上に茎を束ねた三本の麦。

第二は青地に銀色のバラの花とその上部に水星。

第三は青地にともきれているカタコンプ、ランプは銀色で炎は金色

第四は赤地に五本の弦を有する金色の竪琴

中央には青地の上に四隅を結合する布教聖省の小さな紋章が描かれている。この紋章は銀色の地球の金の太い線で十字架が印され、その上に同じ金色の小さな十字架がある。

紋章の上部に会のモットーOportet Illum Regnare が書かれている。

会の紋章の説明と比喩的意味

(a)      会の紋章はサニテイカ型※注で上部はモットーで占められ、下部はバラの枝で飾られている。

その枝は中央に開いたバラ、両端にはバラのつぼみと自然な葉形模様がある。

(b)      この混み入った紋章は、修道会創立に受けた種々の理想を比喩的な表現で図表化している。

この霊的理想を上昇的順序に従えば

Ⅰよろこび   本修道会を躍動させる刺激となるよろこび《竪琴》

Ⅱ宣教的       《十字架を印した地球》

Ⅲ司祭的       《カテコンブのランプ、いけにえ》

Ⅳマリア的   《水星とバラ》

Ⅴ聖体的       《麦の穂》

(c)       上部のモットーはゴシック体で書かれ、会のプログラムの価値およびプログラムをも意味する。これは神の恵みによって支えられた堅固な信念で守られている。

(d)      下部の緑飾りは燃える愛、自己奉献とキリスト教的徳の香りを開いたバラで示している。

レパナイ・フェルキョ 神父

197311月、バチカン

.サニテイカ:北部イタリアのサンニイオ(Sannio)から来た騎士たちが使っていた古い武器



2012年4月8日日曜日

御聖体の宣教クララ会 のあゆみ



1951 1960

宣教者の霊魂がどんな所でも、あなたと出会いますように。人々を助ける時、様を知らせる時、犠牲の時、迷える羊を捜す時、海を巡航する時、田園、美し日暮れの空、きらきら光る星、静かな月、善も悪も暖める大陽を眺める時、あたと出会いますように。(『心の竪琴』第2部6章)
「心の竪琴」とは創立者が、姉妹のために書き残した本の題名。


2012年4月2日月曜日

御聖体の宣教クララ会精神と霊性


宣教クララ修道会の精神は、喜びと単純と信頼です。この精神で宣教的、聖体的、マリア的、司祭的の4の霊性を生きるのです。創立者に出会ったことのある姉妹たちは彼女の中に喜びと単純さが輝き出ていたと言っています。喜びとは、神に愛されていること、また自分も神を愛していることを知ってぃる霊魂の内的な喜びです。

2012年3月25日日曜日

MADRE INES 聖パウロのような『宣教者のシンボル』


聖パウロの神秘性は、キリスト教初期から現代に至るその歴史の中で教多くの人々に霊感を与える泉となった。自分の宣教家族の中に聖パウロの精神性を浸透させたいと願っていた御聖体のマドレ・イネス・テレサの霊性においても同じであった。

キリストに心酔し、自分への神からの計画に忠実な使徒は、「わたしを愛し、私のために身をささげられた方(Gal 2,20)」をみいだしたのである。「キリストの愛がわたしを虜にし(2Cor514)」、「キリストが速やかに統治されますように(1Cor15,25)」は、マドレ・イネスが自身の設立した宣教家族のために編案した標である。聖パウロとマドレ・イネスの思いを自分のものにすれば、キリストの聖心の鼓動(思い)を感じとることができる。だから、マドレ・イネスにみられるパウロの教義は、「私たちの希望であるキリスト(1Tim1,1)を生き、宣教するための援けとなるであろう。なぜならば、教皇ベネディクト16世が、その第2の回勅のなかで書いておられるように、「私たちは希望によって救われた(Rom8,24)」からである。私たちと時代を共有するマドレ・イネスは、絶えず聖霊に導かれた活動的な女性であり、単純さと深みを併せ持ち、そして、神のみ言葉の光、特に教会に活力を提供した異邦人の偉大なる使徒の宣教・霊的活動による秘儀に照らされて、彼女自身の手紙の中で、パウロの書簡を直接読むことで、聖パウロのように自身の貧しさを体験した者だけが「キリストの愛は人智を超える(Ef319)」ことを悟ることができる、と私たちに宣言するのである。

2012年3月18日日曜日

VIVIR PARA CRISTO / キリストのために生きょう
創立者は、神と共に歩む信徒のために,修道会のファミリー属する一つの共同体作りました。この信徒の共同体が共同体宣教共同体、すなわちバンクラールと言いうのクループです。


2012年2月15日水曜日

バンクラル 2012

Es Urgente Que El Reine

.M.(創立者)の列福式もあと数十日になって参りました。メキシコ地区では総長様初めそれに携わっているシスター達は喜びの内にも目が回る忙しさで走り回っています。皆様はどうぞ沢山のお祈りで応援して下さい。
さて、先日11日のバンクラル誓約更新の日の様子を分かち合いたいと思います。
軽井沢修道院からシスター全員、大泉修道院からシスター3人、飯田修道院からシスター1人が参加して下さいました。11時より長崎教区の下窄神父様司式(以前よりバンクラルでお世話になり、皆様の希望により実現)のミサには誓約者が36人集まりました。又書面での誓約者は21人、そして終生誓約者牧島さんも参列、誓約者の御家族や関係者たちを含めて聖堂いっぱいの人々でした。ミサ後、数人のシスター達とバンクラリスタの大内葉子さんが「バンクラルの会則」を訳して下さり、パウロ会で本にしたものをお一人お一人にお渡しいたしました。
これは日本語として全部できたのは初めてです。各支部の図書に入れて戴き、皆様も読んで下さる様お願い致します。序文から始まって、101の項目まであります。内容は非常に深く霊的で組織的です。私達宣教クララ会員にも役に立つものです。是非一度は通読して下さい。
2時 より修道院の食堂で、炊き込みご飯、から揚げ、ケサディージャ、フルーツポンチェ、お菓子、お茶、コーヒーなど軽食でしたが、皆家庭的雰囲気の中で楽しく おしゃべりして過ごしました。その後、聖堂に戻り、神父様より「信仰の年」に当たっての講話に続いてヌエストラ・マドレ(創立者)の列福式への準備として ホームページを見ながら少し説明を致しました。
すべては午後3時ごろ終わり、次回の集まりを楽しみに解散致しました。写真を少し隣のスライドショでご覧ください。

インフルエンザが流行っています。くれぐれも皆様お気をつけて

2012年2月13日月曜日

歴史 3



創立者は1953年、宣教クララ会と協力して、宣教活動をしたいと望む信徒のため、信徒宣教師会「バンクラル」を創設。

1979年には「普遍的教会のためのキリスト宣教師会」も創設。

1981722日午後7時、ローマ総本部において静かにその清い霊を御父に渡し、生涯の奉献生活を全うした。

1951年、メキシコで創立された御聖体の宣教クララ修道会は、1969年本部をローマに移し、世界に向けて宣教活動を展開して行った。

1951年・・・メキシコ、日本

1952年・・・アメリカ

1959年・・・コスタリカ

1960年・・・シエラレオーネ、インドネシア

1965年・・・イタリア

1967年・・・スペイン

1972年・・・アイレランド

1976年・・・ナイジェリア

1987年・・・韓国

1992年・・・ドイツ

1993年・・・インド

1994年・・・ロシア

2002年・・・アルジェンティン

歴史 2




1944823日、宣教修道女を志願した5名の修道女とともに、観想修道院に別れを告げ、クエルナバカ市で新しい生活を始めた。困難は大きがったが、6年後には修道女の数は92名に達し、1951622日、教皇庁直轄修道会としての認可が到着。ここに「御聖体の宣教クララ修道会」が生涯を閉じるまで続けられた。

創立者は、宣教会創設が確定するやいなや、かねて計画していたように認可の3ヶ月後、日本に向けて4名の宣教女を派遣した。その後、アメリカ、インドネシア、アフリカなどに、続々と宣教女を送った。  (後記、参照)

本会の目的=神の光栄と、会員の聖化、またキリストのみ国の発展のため、創立者のカリスマに沿い、会憲に従い、貞潔・清貧・従順、福音に生きる。そして、主である神と全人類の母、本会の保護者であるグアダルペの聖母が、すべての人に知られ、愛されるように務めること。これらの目的は、具体的には次のように生かされる。ミサを中心とする時課の典礼、 教皇と司祭のために絶えず祈ること。 キリスト教国、 非キリスト教国での宣教。児童、成人のカテケジス。医療、保険衛生の仕事、青少年の教育、女子寮、黙想の家。

本会の精神と霊性=精神は、宣教的、聖体的、司祭的、マリア的。その基礎は、み旨への一致である。 そこから沸き出る喜び、単純、信頼に満ちて生きる。

創立者に出会ったことのある人は、彼女の中に喜びと単純が輝いていたという。また、遺言の中に「神への信頼に生きること以上に、私にとって快いことはありません」とあるように、彼女は生涯のとのような時も、神に対する深い喜びと信頼に満ちていた。

歴史

 御聖体の宣教クララ修道会の創立者、御聖体のマリア・イネス・テレサは、1904年、メキシコのナヤリ州イストラン・デル・リオ市に生まれ、20年まで信仰に熱心な両親と兄弟姉妹とともに、恵まれた家族生活を送った。1924年、メキシコ市で行された聖体大会に参加した折、「愛である神が、逆らうことのできない力で私を引きつけ、私の唯一のあこがれは神を愛すること、すべてを神に捧げること」という召命を感じたが、その直後、メキシコ国内は宗教迫害の嵐が吹き荒れ、望みの実現はすぐには不可能であった。
 19296月「アヴェ・マリア」と呼ばれる聖クララ修道院(観想会)に入会し、同年128日、修道服を受け、以来16年間、祈り、犠牲、愛徳、及び与えられた仕事に全力を尽くしながら、誓願の誠実な遂行に自分を捧げた。しかしその間、彼女の心の中に、神のみ国を広めるために「直接宣教」への望みが生まれ、宣教会を創立するのが神のみ心であると確信し、修道会の上長にその望みを打ち明けた。大修道院長は心から賛同し、協力を惜しまなかった。教区の司教も修道会創立のために、聖座への手続きなど積極的に推し進めてくれた。

2012年2月10日金曜日

 
このビデオがYoutubeで見つかりました、皆さんと分かち合いたいの...ぜひ見てください。

2012年2月2日木曜日

祈り

あなたの教会を導き支える聖なり父よ、あなたは、イネシアンファミリーの創立者、忠実なはしためである御聖体のマドレ・マリア・イネス・テレサに誉をお与えになります。
彼女は、キリストのみ国を広めるための宣教の熱意にあふれ、観想と活動の中で喜びと単純さを貫きました。
私たちがその宣教的愛徳を模範とすることが出来ますように。また、彼女の取次によって、_____________今日、あなたに信頼をこめてお願いする恵みを私たちにお与えください。アーメン。
イネシアンファミリーの創立者
主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱