創立者マリア・イネス・テレサ・アリアスは観想修道院での長い祈りの末に、宣教会を創立することが神の望みと確信した当初から 日本人の宣教を強く希望しました。それは可能であれば「日本で創立を」と考えた程したから、創立直後の1951年9月には、早くも最初の宣教女4人を日本に派遣しました。 出発に当たって創立者は、未だ戦争の深い傷跡の残る日本に配慮し、自ら資金と物資を手配しました。当時のむずかしい渡航事情のもと、派遣された修道女は貨物船に乗り、30日を超える船旅を経て1951年10月23日横浜港に到着しました。 この日からはや75年がたちました。おみ堂には大勢の人達がお祝いため来て下さいました。
はじめの頃は長野県の大日向村でとなりは牛小屋という小さな家からはじまった宣教は、今ではこんなに大勢の人を迎えるほど大きなおみ堂をもつようになりました。人々の熱気の中に身をおいた時、これは私達の宣教の実りだと実感いたしました。
"聖なる父よ、この娘の歩みを照らしその道を守って下さい。死に至って偉大な王の裁きに立つ時、その言葉に恐れることなく、神的婚姻の甘美さに招かれる浄配の声を聞くことができますように。私達の主イエス・キリストによって"
それから二人の姉妹が誓願50年の金祝の感謝の言葉をのべました。二人ともこの50年の歩みは神様の恵みがあったからこそであり、神に深く感謝し、又支えて下さった修道会、家族、友人、知人に感謝を捧げておりました。深い感動を胸に夕やみをみせる頃、私は本部修道院をあとにしました。

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