2015年12月11日金曜日

 クリスマス 



クリスマス

シスターL

  最近こんな話を聞きました。電車に身重な女性が乗ってきました。それを見た小学生の男の子が席を立ちました。その女性は坊や丈夫ですよと言いました。そしたら。男の子はおなかの赤ちゃんの為にと言ったそうです。クリスマスに相応しい心温まる話ですね。


今、私達はイエス様のご誕生を待ち、心を整えています。待降節と言いこの季節何か犠牲をします。教会の伝統でこちらの修道院では毎日くじを引きそれを実行します。おやつを犠牲しましょうとか朝の果物を犠牲しましょうとか、人に喜びを伝えましょう、会憲のどこを読みましょうとか係りはいろいろ考えてくれますが、この間引いたくじは [お御堂で一人で典礼聖歌“ごらんよ空の鳥を歌いましょう] でした。わたしは誰もいない時間を見計らってお御堂へ行き小さな声で歌い始めました。こんなことは生涯で初めてです。誰も聞いていない、聞いているのはイエス様だけと思ったら心がときめきました。素敵なくじを引きました。

こうして私達は神様の赤ちゃんを待っています。先日イエス様より半年早く生まれた赤ちゃんの映像を見ました。この前のブログで紹介したホセマリアです。お風呂をしているところ、洗礼式、家でお父さんに抱っこされているところ等々いくら見ていても飽きませんでした。元気な赤ちゃんでいつも動いていて足を踏ん張りミルクをごくごく飲んでしっかりとみています。洗礼者ヨハネのようにやがて“荒れ野で叫ぶ声”になるかも知れませんね。世の人々にイエス様を紹介してくれるでしょう。
 お互いに良いクリスマスを迎えましょう。






2015年11月14日土曜日

“こんにちは赤ちゃん”   



“こんにちは赤ちゃん”

シスターL

 秋満載の日本にコウノトリがメキシコから赤ちゃんを運んできてくれました。



平成27年6月23日生まれで5ヶ月目です。男の子でホセマリアと言います。この子のお姉ちゃんは私達の姉妹です。二年前に日本に派遣された6人のうちの一人で今21歳です。ですからホセマリアは21歳違いの弟になります。日本に来るときこの姉妹は一人っ子でした。ご両親は寂しがりました。去年初誓願を立てる時はご両親に“ごめんね”といったそうです。目を見張るできごとはそれからです。去年の11月お母さんの懐妊のニュースが入ったのです。私達は歓声を上げ拍手をしました。中には涙ぐむ姉妹もいました。私もその一人です。なんという神の御業。誰がこんなことを予想したでしょうか。神様にきりできません。

  私達は生まれる日を指折り数えて待ちました。あと何か月、あと何か月待ち遠しい日々でした。そしてついに生まれました。姉妹に似ているとだけ聞いておりましたが今回写真が届きました。“初めまして、日本のお姉ちゃん達です。少々口喧しいですがどうぞ宜しく、あなたが生まれたこの世はイエズス様も生きた世ですよ、祝福に満ち挑戦するに値するものがいっぱいあります。いつも応援していることを忘れないでね。そして私達の家族に生まれて来てくれてありがとう”



 

2015年10月28日水曜日

誓願50周年

誓願50周年
   
シスタ―L



       “この大祭司は、私たちの弱さに同情できないかたではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みに与って、時宜に叶った助けを頂くために、大胆に恵の座に近づこうではありませんか” 
(ヘブライ人への手紙)



 1018日“世界宣教”の日に私たちの姉妹2人の誓願50周年のお祝いのミサがありました。前日お御堂に行きましたら式の練習をしていましたのでそのまま見学いたしました。

 お2人とも入会してから54年がたちました。式の中で神様と修道会に感謝のことばを述べるのですが一人の姉妹は長い間立っていられない、もう一人の姉妹は震えるとのことで説教台を使うようになったみたいです。地区長が原稿を置いてつかまり方を見せているのには笑ってしまいました。しかし3人とも笑っていません。“そうか、もう神様の前にも人の前にも隠すものなどないのだ”と分かりました。まして、姉妹の前には尚更です。“そのままで私の喜び”という天の御父の声が聞こえました。

さて本番です。説教台につかまって、それぞれが越し方を振り返って感謝を述べました。空襲で家が全部焼けてしまって何もなくなってしまったこと、お父さんはすでにいなくてお母さんと弟さんと自分で“わたしは生きる”と立ち上がったこと、その過程で教会に触れて行ったことを話され胸に迫るものがありました。もう一人の姉妹はインドネシアに派遣されたことを話されました。聞きながらそこでの困難が手に取るようにわかりました。2人とも何度イエズス様に叫んだことでしょう。姉妹となった以上、少しのことばでも推し量ることが出来ます。長い歳月が紡いでくれて私たちは血液によらない家族になりました。

この感動はすぐに消えることなく、残された祭壇の花と共に私たちの心に咲き続けました。

2015年9月28日月曜日

おばあちゃん2人



おばあちゃん2人

シスタ―L

 秋の気配も色濃くなったこの夜、忘れられない2人のおばあちゃんの話を聞いて下さいますか。何年か前テレビで見たのですがお二人とも80歳を超えています。

 一人の方は今も靴磨きをしています。背負いかごに必要なものをいれていつもの場所にいつもの時間にぴしゃりと座ります。靴墨は手でポンポンと付けていきます。この方法は自分で考えたそうです。それから磨きます。髪には100円ショップで買ったようなぱっちん止めの髪飾りが2、 3個ついています。下を向いて磨くのでお客様の目を楽しませるためでしょう。スタジオでタレントさんの靴を磨いたのですが、その時の会話が心に残りました。「旦那さんには家の中をやってくれる人を見つけなさい。あなたは外で働いてお金を持ってきなさい」男は外で働く、女は家の中のことをやるなどとは言いませんでした。長く生きてきた方の知恵、また靴磨きを通してみた世の中の温かさとしなやかさに心を打たれました。

 もう一人のおばあちゃんは今も茨城県か栃木県から銀座に行商にやってきます。昔のようにたくさんの荷物はもてませんが午前中で終わるぐらいのものです。もう家計のためということもないのでしょう。朝一番の電車に乗ります。乗り遅れるといけないので朝ごはんはお弁当を持ってきて駅で食べます。お弁当の中味が写りましたが手づくりのほっこりこりするものでした。そしていつものところに持ってきたものを並べます。トマト、ナス、キュウリ等々。するとお得意さんが来ます。コックさんは品物がよいからと買いに来ます。又ある人はおばちゃんから元気をもらうためにとやってきます。私もテレビを見ながら元気をもらいました。そしてお昼頃軽くなったかごを背負って帰ります。日差しの中爽やかな風がふぃています。

 聖書のことばを想いました。 
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々、は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは、神の子と呼ばれる。
                     (マタイ5・3-9)





2015年8月28日金曜日

修道院の夏 

修道院の夏

シスターL

 間もなく楽しかった夏休みも終わろうとしています。爽やかな風が吹いて真夏はあんなに望んでいたのに何か物寂しくなります。つれずれに修道院の夏をお話ししようと思います。

 今年の夏はたいへんに暑く私も高齢者ですので熱中症に気を付けて苦手な水分補給をまめに致しました。まず1年分の大掃除をします。日頃行き届かないところを綺麗にします。外側を綺麗にする行為は内側もきれいにする行為にもつながります。

修道院も8月は時間割が変わります。午後のお祈りが30分早くなり夕飯も早くなります。その分夜テレビを見ました。今年は戦後70年に当たり色々な番組が企画されみんなで見ました。新しく知ったこともいろいろありました。年の黙想をした姉妹もいます。それぞれ自分の時間を調整しながら研修にも行きました。それから各自家族の下に帰省いたしました。派遣された6人の姉妹は各支部に手伝いに行きました。多摩川の花火も夜空に美しく輝きました。

  また9月から平常の時間割に戻ります。幼稚園も始まり寮生も戻ってきます。各クラスも始まります。派遣された6人の姉妹の日本語の勉強も始まります。

 

教皇様の言葉をお聞きください。『皆さんの生活、皆さん自身の中心にキリストを据えて下さい。たえずキリストを求めなさい。受肉したみ言葉として御父と人々 に関わったイエスの生き方と行動へと変えられるために、キリストの御顔を求めキリストを生活の中心に置きなさい。使徒パウロのように、キリストがあなたを 征服するようにして、そのかたの思いと生き方を帯びる者となりなさい。キリストの手によって触れられ、キリストの声によって導かれ、キリストの恵みに支え られるようにしなさい』

2015年7月25日土曜日

母の願 



母の願 

シスター・L

 私は713日この日に初誓願を立てました。去年1015日のブログでシスターMGが書いておりますが彼女も含めて私達5人です。入会から一人も欠けることなく今に至っております。入会してから41年がたちました。5人とも41歳年を取りました。近年、世界的に召し出しの数が少なく私達の会も例外ではありません。でも神様にまかせていればいいんだと思っていました。

 いつの頃から帰省すると母が『新しい人が入ったか?』『メキシコからだれかきたか?』と聞きようになりました。毎日仏壇の前でぶつぶつ言っていましたから修道院に帰ってきて、母は仏様に、ご先祖様に亡くなった父に召命の為に祈っていると冗談として話しました。

 ある日、日本地区長が『メキシコから6人若い姉妹が来ます』と発表なさいました。その時私は体が止まりました。貧しい無学な母の願を神様は聞いていたんだ、どんないい組織でも人がいなければ消えるということを母は知っていたんだと気ずかされました。このことは神様と私の秘密だったのですが、あることがきっかけで話してしまいまた。そしたらなぜか私も気が楽になりました。