1944年8月23日、宣教修道女を志願した5名の修道女とともに、観想修道院に別れを告げ、クエルナバカ市で新しい生活を始めた。困難は大きがったが、6年後には修道女の数は92名に達し、1951年6月22日、教皇庁直轄修道会としての認可が到着。ここに「御聖体の宣教クララ修道会」が生涯を閉じるまで続けられた。
創立者は、宣教会創設が確定するやいなや、かねて計画していたように認可の3ヶ月後、日本に向けて4名の宣教女を派遣した。その後、アメリカ、インドネシア、アフリカなどに、続々と宣教女を送った。 (後記、参照)

本会の精神と霊性=精神は、宣教的、聖体的、司祭的、マリア的。その基礎は、み旨への一致である。 そこから沸き出る喜び、単純、信頼に満ちて生きる。
創立者に出会ったことのある人は、彼女の中に喜びと単純が輝いていたという。また、遺言の中に「神への信頼に生きること以上に、私にとって快いことはありません」とあるように、彼女は生涯のとのような時も、神に対する深い喜びと信頼に満ちていた。
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