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2014年10月15日水曜日

「ホットひと息」 入会して40年



「ホットひと息」 入会して40年



                           シスターM・G

お互いに顔も名前も知らず、出身地も年齢もばらばら、学歴も職歴も、境遇もまったく異なる私達5人は、40年前、神からのよびかけを聞いて、御昇天の祭日に初めて顔を合わせ、一緒に志願者としてスタートをきった。



 泣き笑いの志願期、修練期を経て、軽井沢修道院で1ヶ月の霊操が明けた日、5人揃って初誓願を宣立。その2~3年後は佐賀、横浜、群馬とそれぞれ宣教へと飛び立つ。終生誓願を迎えた時点で、一人はメキシコ、一人はインドネシア、三人は東京修道院で祝い、誓願25周年は4人が、思い出深い軽井沢修道院で一緒に、第2代目総長の臨席の下、銀祝の恵みを戴いた。



 現在、1人は韓国での宣教を25年も頑張っているが、5人とも修道生活を堅忍している。振り返ってみると、弱く貧しい私達は一人ひとりでは、とても今日まで堅忍することはできなかったと思う。それぞれが神から戴いた小さな賜物を提供し合い、互いに活用し、助け、補い合い、協力して、この40年間にそれぞれ打ち寄せる波を乗り越えて来た気がする。


 勿論そこには、陰になり、日向になり、祈り支えてくれた家族、友人、知人そして多くの姉妹達がいたことは感謝しているが、5人が互いに祈り合い、それぞれの個性を認め、ありのまま受け入れ今日まで来たのだと思う。


 次の50周年、金祝は、いつ?どこで? 5人一緒にと願ってはいるが、全ては神のお望みのままに・・と祈りつつ御父のみもとに帰るまで奉献生活を共に歩んで行きたい。 「兄弟のように 共に住むのは 美しく楽しいこと」

2014年10月5日日曜日

「ホットひと息」 「祈りの力」










「ホットひと息」 「祈りの力」
 
10月はロザリオの月なので、今日は私の小さな祈りの体験を書きたいと思います。

神様に祈る時、自己中心的な祈りになりやすいのは私だけでしょうか?

「○○してください」「□□してください」とお願いばかりです。そんな時に助けとなるのがマリア様への祈りです。「この人の言うとおりにしなさい」とイエス様を指し示しながら、私たちの祈りを取り次いでくださるからです。

 


私が入会する前のことですが、イラクとアメリカの戦争がありました。あまりにも多くの犠牲者が出て、世界中が戦争の終結を願っていました。そんな時、東京で戦争終結のための祈りの行進があると聞き、私もそれに参加しました。様々な宗教者たちが、自分たちの祈りを神様に捧げながら行進したのです。祈りの言葉は違いましたが、心は一つでした。「南無妙方蓮華経」「×××××・・・」「天におられる・・・」とある人は太鼓(?)を叩き、ある人は数珠を、そして私はロザリオで真剣に祈りました。もちろん世界中の人々の祈りのおかげだと思いますが、その三日後奇跡的に戦争が終結したのです。私はその時始めて“祈りの力”を感じました。

数年後、私は修道会に入りたいと決意しましたが、修道会から「お祈りしてください」と言われました。何をどのようにして祈ったらよいかわからず、当時あまり祈っていなかったロザリオの祈りを通勤の時に唱え続けました。家族の反対というつらい日々もありましたが、それを乗り越えて修道会に入会できたのは、マリア様のおかげだと今でも感謝しています。

皆さんの中にも、そんな祈りの体験がありますか?もしあるなら、それはきっと神様のみ心に叶ったお祈りだからかもしれませんね。(^‐^)


 

2014年9月7日日曜日

召命体験記



召命体験記(シスターTJ

  神様の呼びかけはとても神秘です。なぜなら皆一人ひとり違うからです。今日は、本会の有期誓願者の一人に召命体験を書いてもらいました。


 私は、子どもの頃から“いい人”になりたいという望みをもっていた。実際には、自己中心的で、両親にも反抗的な子どもだったが、その望みだけはずっともちつづけて生きていた。

 17歳の頃、インドのマザー・テレサが、マスコミに登場しはじめた。彼女の本を読んで感動した。が、尊敬するべき人ではあるが、私からはとてもかけ離れている人のようにみえた。

 25歳の時、日本の修道女が主人公として描かれている小説に出会った。彼女は、アフリカのマダガスカル島で、修道院の経営する産院の産婆として働いていた。いったい自分に何が起こったのか自分でも理解できない程、上・下二冊のその小説に没頭し、何度も繰り返して読んだ。主人公の考え方、言葉、生き方に心を惹かれてしまった。

彼女の、貧しい人々を助けて生きる生き方は、確かに私の望む“いい人”の生き方なのだ。しかし、私が惹かれたのは、そのもっと向こうにあるものだった。彼女は、すべてのことをただ、神様、主イエス・キリストの為にやっているという。それはどういうことなのか、まだ、信者ではなかった私には、本当には理解できない発想だった。それなのに、彼女の存在が私から近い人に感じられた。そして“彼女の生き方は、なんて、素敵なんだろう。私も彼女のように神様の為に生きたい・・・”という印象を私に残した。その時、修道女の生き方に強い憧れを抱いた。


 とはいえ、すぐに決断とはいかなかった。“一生を捧げるのは難しいけど、2年なら・・・”と、海外ボランティアに参加したり、結婚や、他の道もあるのではと、捜してみたが、修道女への憧れが心を離れることはなく、ある日決心し、洗礼へと導いて頂いた。
 




主の恵みによって本会と出会い、洗礼から1年半後、入会させて頂いた。“なぜ、もっと早くに決断できなかったのか”、と人間的な後悔は度々頭をよぎるが、忍耐強く待ち続けて下さった、主イエス・キリストに心から感謝しながら生きている。