2020年9月1日火曜日

地球と人類のための共通の祈り

                                  

 

  あなたには、地球と貧しい人々の叫びが

聞こえていますか?

 


あなたは、私たちの「共通の家」である地球からの叫びを聞いていますか?

最も弱い立場にいる人の叫びに耳を傾けていますか?

教皇フランシスコは回勅「ラウダ―ト・シ」を通して私たちに問いかけています。

あなたの答えは? 少しでも関心のある方は「ラウダ―トシ」を読んでみませんか。

また、教皇フランシスコのメッセージに心を開いて共に祈りましょう

                             



 
 



        

2020年8月23日日曜日

御聖体宣教クララ修道会の 紋章

紋章
私たちの修道会の紋章を紹介したいと思います。
本会はローマカトリックの伝統に従い、会の特徴を象徴的に表した紋章を持っています。

文字
”OPORTET ILLUM REGNARE”
オポルテット・イルム・レニャーレというラテン語は、「神は速やかにおさめられますように」という意味で本会のモット―です。

十字架と玉(宣教的)
本会の第一の目的は宣教である。玉は地球を表し、その地球の上に立てられた十字架は、この世界の救い主、キリストをすべての人に伝え、神の国の到来のために働く私たちの使命を表す。

麦の穂(聖体的)

麦の穂は聖なるパン、御聖体を意味しています。キリスト者の源泉と頂点である御聖体のイエスは私達の存在の中心であり、ミサと礼拝に特別な重みをもって生きる。

ランプ(司祭的)

ランプは私たちがキリストの司祭職にあずかることを意味しています。奉献をもってイエス・キリストに一致し、私たち自身と私たちの行動のすべてを神の栄光のために捧げる

バラと星(マリア的)
グァダルッペの聖母は本会の保護者であり、特別な愛情で彼女を愛する。バラはその聖母のシンボル。同じように星は、私たちの歩む道を導き、キリストのあがないの協力者として取り次いでくださる聖母のシンボルである。
竪琴(喜び)
感謝の賛歌を神のみもとにまで昇らせる竪琴、修道者として霊的生活なしに宣教活動はあり得ない。日々の祈りによって、主と共にある喜びに満たされ、常に感謝をもってすべてを捧げる。神はわたしを愛し、私もかみを愛する喜び


紋章は御聖体の宣教クララ修道会の精神とカリスマを簡潔に、また適切に表している。



2020年8月19日水曜日

「全てはマリアと共にイエスのために」

 「全てはマリアと共にイエスのために」


 

8月15日(土)は聖母の被昇天の祭日、22日(土)は天の元后聖マリアの記念日、マリア様のお祝い日が続いていますね。

 私たちの創立者、福者マリア・イネスは、マリア様への信心がとても深く、私たちの修道会はとてもマリア的です。

 福者マリア・イネスは、会員に次のように勧めました。

* 朝、目覚めるときに、神に心を捧げてから、優しくマリアの胸に頭を寄りかけ、その日の予定を考えながら、「これらのこと全ては、あなたのためです。」と、子の愛をもって言いましょう。

* 日常のことを始める前に、出来れば一つ一つの前に、そして、それを終えた後、「み母よ、あなたへの愛のため、イエスのお望みのために、これをしました。」と聖母に献げなさい。

* 最後に、夜、休む前、天国へ行き、聖母のお膝に優しく寄りかかりながら、彼女と一緒に、その日のことを思い起こし、その清い御手に置きましょう。マリアが、これらをもって、イエスのために霊魂を得るでしょう。




あなたもやってみませんか!

2020年8月2日日曜日

キリストは生きている



友であるかたの招き




自己の召命を識別するには、召命というものは、友であるかた、イエスからの招きであると分かっていなければなりません。友達に贈り物をするときには、一番いいと思うものを贈ります。最高のものとは、必ずしも高価なもの、珍しいものではなく、相手が喜んでくれると確信しているもののことです。
友ならばそれがよく分かっているので、贈り物を開くときの相手の笑顔が想像できるのです。わたしは、自分の人生に神が何を望んでおられるかを知ろうとする若者には,友情によるこうした識別を手本にしてほしいと思っています。

主がそれぞれの人を思っておられるとき、その人に何を贈ろうかと考えておられるときには、その人をご自分の個人的な友だと思っているということを、わたしは若者たちに知っていてほしいのです。しかも、恵みであるカリスマあなたに充実した人生を送らせるものであり、あなたを他者の助けとなる者、歴史に足跡を残す者へと変えてくれるものを授けようとしているならば、それはきっと、心底あなたを喜ばせるもので、この世の何よりもあなたが夢中になるものであるはずです。それがふつうとは違ったり、稀有であったりするカリスマだからではなく、あなたにぴったり合うもの、人生全体にふさわしいものだからです。


(使徒的勧告「キリストは生きている」の№287、№288より)





2020年7月27日月曜日

聖マルタ

聖マルタってどんな人???
聖マルタ

確かなことは私も知りませんが・・・

多分、美人ではない(妹はそうだった)。 でも人間的に魅力のある人。
肝っ玉母さんのように頼りになり、暖かく人を包み、料理が上手な人、
細かい事は気にせず、おおらかで明るく元気な人、
周りの人皆一人一人に、優しい心使いができる素朴な人、
ルカ福音書の中で「マルタ、マルタ、必要な事はただ一つなんだよ」と言われ
反省し、もう一度自分の生き方を見つめ直し、改めて主に据えて捧げた人。
ヨハネ福音書で「私は復活であり、命である。このことを信じるか」と問われ
「はい、主よ、私は信じます」と自分の信仰を宣言できた強い人。

【誰よりもイエズス様を愛し、主の望む弟子になりたいと何時も望んでいる人】

聖マルタは主に忠実で心優しい兄ラザロ、兄と姉マルタを心配させ苦ませ、今は主に真直ぐに向かって生きている妹のマリアと3人でエルサレムに近いベタニアに住んでいました。マルタはこの家を切り盛りし、イエズス様が近くに来る時は必ず3人の家を訪れ、イエズス様自身主ではなく、まるで4人兄弟姉妹の家族のように親しく、穏やかに過ごしていたのでしょう。ベタニアはイエズス様の心と体のゆりかごのような、安心できる拠り所だったのでしょう、きっと・・・


決して立派な事はしなかったけれど、人間として、女性として当たり前の心使いが誰にでも出来るこの聖マルタの名を、私は洗礼名、修道名としていただき、保護者としたことを誇りに思いますし、彼女のような奉仕と愛徳の心使いの精神を学びたいと日々願っています。

因みに 私達の創立者は1951年、観想生活16年後に多くの苦しみと困難を経て、当時では考えられなかった活動会を創立しました。従って私達の修道会は、観想生活と活動生活の2つの特徴を持っています。すなわちイエズス様の足元で主の言葉に耳を傾けた観想的なマリアと、主をおもてなしした活動的なマルタの生き方です。従って会員である私は、両方の特徴が程よく調和されている修道会だと思っていますし、現代においては理想的な修道会だと思います。それが創立者の望みでしたし、ある意味理想的な修道生活ではないでしょうか。


また現総長は聖マルタの名を持っている母性的・魅力的な修道者です。私達はマドレ・マルタと呼んでいますが、私達を霊的な道(観想的)に導き、また神の栄光と霊魂の救いのために働く(活動的)様に日々導いてくださいます。マドレ自身もマルタ的奉仕の毎日です。すべてに感謝しながら堅忍の道を歩んで行けたら! と祈りつつ・・・ 

シスターマルタ橋本mc     


2020年7月22日水曜日

すべての人が神を知り、神を愛しますように!

すべての人が神を知り、神を愛しますように!


今日722日は、本会の創立者福者御聖体のマリア・イネス・テレサの帰天日です。

私たちは、創立者のことを“ヌエストラ・マドレ”(ス

ペイン語で“私たちのお母さん”という意味)と呼んでいます。それは彼女の生涯と残された書き物を通して、私たちをイエス様・マリア様へと導いて下さる霊的な母だからです。創立者の書き物の中にも「(私が亡くなった後も)彼女たちの小道を照らす小さな星にならせて下さい。」と
書かれてあります。

「すべての人が神を知り、神を愛しますように」―これは、創立者がいつも神様に願っていた祈りです。神様との深い一致・観想から“すべての人の霊魂を救いたい”という望みを抱き、「神のみ国が来ますように」のモットーに従って、全生涯の全てを神様の栄光の為に捧げられました。

創立者の写真を見て下さい。その写真からは、あふれるばかりの微笑みがすべての人に向けられています。神様に信頼し、希望し、そのまなざしは天国へ、心は聖なるイエス様のみ心に浸っていました。そしてその生活は絶え間ない微笑で満たされていました。

創立者の列福式のミサを司式して下さった枢機卿はお説教の中で「聖人たち神様の微笑み」と言われました。創立者は今も写真の中で「微笑みの宣教」をされています。私たちも創立者のような微笑みで、「微笑みの宣教」を今日から始めませんか?「すべての人が神を知り、神を愛しますように」を合言葉

2020年7月4日土曜日

ミッション活動

「洗礼式を終えて」

2020年412日コロナウイルスの感染拡大によりミサが中止となっている中、神父様、シスター達のご配慮により、3密を避け洗礼式をして頂き、子ども達と共に神の子となることが出来ましたことに心より感謝いたします。多くの祝福の言葉をもらい忘れない日となりました。

初めて教会に行ったのは、今から14年前。結婚前に神父様から結婚についての勉強をして頂いた時でした。神父様の「愛する」というお話は心にすっ―と入り、イエス様についてもっと知りたい!と思ったのを今まで素明に覚えています。その後、子育てや日々の生活に追われ、復活祭やクリスマスに教会に行く程度でしたが結婚する前に神父様から聞いた「愛すること」はずっと心の中にありました。

昨年、飯田に引っ越し、年長の娘が一年だけクララ幼稚園に通えることになり、縁あって、私も週に1回娘を幼稚園に送った後にシスターマルセラに勉強をして頂けることになりました。

シスターマルセラとの時間は忙しい日々の中で  とても大切な時間でした。聖書を読み、イエス様について知れば知る程、「永遠の命」神様のお恵みを感じました。娘が家で自分から寝る前にお祈りする姿やクリスマスがサンタさんが来る日でもなく、ケーキを食べる日でもなく、「教会に行く日」「イエス様の誕生日」と話す姿に娘の中にもイエス様がいてくだることがとても嬉しく思えました。

「祈る」ことを知り、コロナウイルスという前代未聞の出来事の中、生活も制限され自粛生活の中、何もできないとなげくのではなく、不安や悲しみの中でも祈ること、私の中に神様がいてくださると思うと心を落ち着かせ過ごすことができました。娘2人にも洗礼を授けて頂いき、これからは家族共に信仰に生き、愛に満ちた日々となるようにお祈りしていきたいと思います。


                          エリザべト 矢沢由美