2014年11月6日木曜日
2014年10月31日金曜日
「ホットひと息」 終生誓願は神様の恵み
「ホットひと息」 終生誓願は神様の恵み
シスターT
去る、11月19日 世界宣教の日に、二人のメキシコ人のシスターの初誓願式と 私の終生誓願式が、教皇大使 ジョセフ・チェノット、大司教様の司式で、執り行われました。
参列者は、後援者、第三会員のバンクラリスタス、本会の女子寮に住むお嬢さん方、友人・知人 日本全地区の本会の姉妹 そして、たくさんの召命関係の催しで知り合った方々などで、ご聖堂はいっぱいになりました。
厳かな雰囲気と喜びの中、順調に式は進んで行ったのですが、地区長様に向かって読む、“誓願文”を読む段になった時から心が高鳴り始め、マイクを持つ手が、ぶるぶる震えだしました。その、誓願文は、入会以来9年間 毎朝、朝のお祈りの時に唱えているものと、全く同じもので、あの雰囲気の中でも、読むこと自体それほど難しいことではないはずでした。ましてや、何回も練習していたのですから、この体の現象は、予想外でしたが、その文を読んでいる内にその意味が分かったように感じ、最後まで止まらなかったその震えをしっかり味わうことにしました。
修練期から、 終生誓願までの7年 神様から色々な試練を頂きました。修練期から送られたメキシコで、知らされた母の病気、入院。それに伴って、父の老人ホーム入居。思い余って、「日本に帰りたい」と話した時、日本の修練長様から「今、あなたにとって一番大事なのは召命を守ることです」と、言われ、はっと気づかされたのでした。次は、私自身の病気や、霊的、精神的未熟さを目の当たりにし、自分に自信を無くしたこと。そしてまた、家族の問題 。そんな試練に合う度、「私が、この道を続けることは、神様の思いに叶ったことではないのかも知れない」という疑問が、私を襲いました。そして、その度に その疑問は、誘惑であり、どこまでも神に信頼することを、霊的同伴して下さる姉妹が悟らせて下さったのでした。
これらの試練とその克服を通して、わたしは、惨めで 自分の努力ではどうにもならず、何の役に立たない者であること十分に思い知り、ただ憐れみのイエス様に信頼して生きるしかないことを悟り、この神から与えられた召命を守らせて頂くことが、どれほど大きな恵みであるかを深く感じられるようになったのです。そして頂いた終生誓願のお許しは、ただ、神への感謝しかありませんでした。
決して平たんではなかったこれまでの道のりの後、ようやく、憐れみ深いイエス様の浄配とならせて頂く感動が、一気にあの瞬間にあらわれたのでしょう。“震え”という形で。そして、それは、決して忘れてはならない体験だったのだと思います。
終生誓願は、字からして、終わりのような感じですが、本当は、始まりです。生涯に渡ってイエス様の浄配として歩みますと神様に自分を捧げた新しい歩みが、これからはじまるのですから。
私は、今 喜びで、心を弾ませています。この思いが伝わりますように・・・。
ラベル:
メキシコ,
教皇大使 ジョセフ・チェノット,
終生誓願,
召命,
世界宣教の日
2014年10月15日水曜日
「ホットひと息」 入会して40年
「ホットひと息」 入会して40年
シスターM・G
お互いに顔も名前も知らず、出身地も年齢もばらばら、学歴も職歴も、境遇もまったく異なる私達5人は、40年前、神からのよびかけを聞いて、御昇天の祭日に初めて顔を合わせ、一緒に志願者としてスタートをきった。

現在、1人は韓国での宣教を25年も頑張っているが、5人とも修道生活を堅忍している。振り返ってみると、弱く貧しい私達は一人ひとりでは、とても今日まで堅忍することはできなかったと思う。それぞれが神から戴いた小さな賜物を提供し合い、互いに活用し、助け、補い合い、協力して、この40年間にそれぞれ打ち寄せる波を乗り越えて来た気がする。
勿論そこには、陰になり、日向になり、祈り支えてくれた家族、友人、知人そして多くの姉妹達がいたことは感謝しているが、5人が互いに祈り合い、それぞれの個性を認め、ありのまま受け入れ今日まで来たのだと思う。
次の50周年、金祝は、いつ?どこで? 5人一緒にと願ってはいるが、全ては神のお望みのままに・・と祈りつつ御父のみもとに帰るまで奉献生活を共に歩んで行きたい。 「兄弟のように 共に住むのは 美しく楽しいこと」
2014年10月5日日曜日
「ホットひと息」 「祈りの力」
「ホットひと息」 「祈りの力」
10月はロザリオの月なので、今日は私の小さな祈りの体験を書きたいと思います。 神様に祈る時、自己中心的な祈りになりやすいのは私だけでしょうか?
「○○してください」「□□してください」とお願いばかりです。そんな時に助けとなるのがマリア様への祈りです。「この人の言うとおりにしなさい」とイエス様を指し示しながら、私たちの祈りを取り次いでくださるからです。
私が入会する前のことですが、イラクとアメリカの戦争がありました。あまりにも多くの犠牲者が出て、世界中が戦争の終結を願っていました。そんな時、東京で戦争終結のための祈りの行進があると聞き、私もそれに参加しました。様々な宗教者たちが、自分たちの祈りを神様に捧げながら行進したのです。祈りの言葉は違いましたが、心は一つでした。「南無妙方蓮華経」「×××××・・・」「天におられる・・・」とある人は太鼓(?)を叩き、ある人は数珠を、そして私はロザリオで真剣に祈りました。もちろん世界中の人々の祈りのおかげだと思いますが、その三日後奇跡的に戦争が終結したのです。私はその時始めて“祈りの力”を感じました。
数年後、私は修道会に入りたいと決意しましたが、修道会から「お祈りしてください」と言われました。何をどのようにして祈ったらよいかわからず、当時あまり祈っていなかったロザリオの祈りを通勤の時に唱え続けました。家族の反対というつらい日々もありましたが、それを乗り越えて修道会に入会できたのは、マリア様のおかげだと今でも感謝しています。
皆さんの中にも、そんな祈りの体験がありますか?もしあるなら、それはきっと神様のみ心に叶ったお祈りだからかもしれませんね。(^‐^)
2014年9月28日日曜日
「ホットひと息」 「6人のその後」
「ホットひと息」 「6人のその後」 シスターL
派遣された6人の姉妹は、日本語の練習もかねていろいろ話しかけて下さいます。「おはようございます」「夕べはよく眠れましたか」「朝食はすみましたか」以前ならあまり気にかけない言葉でした。自分を振り返ってみて今日はこれをやらなければあれを終わらせなければと思う毎日でした。
「どこに行きますか」と言うので「クリニック」と言いましたら「連れて行ってください」「あなたは足が痛くないからダメ」と言いましたら腕をつかんで「お世話します」私にかまわないでという生活を送ってきた私ははっと気づきました。なんと私は自分中心だったことかと。
地区長様からみんなに6人の姉妹の状況についてお話がありました。日本語の上達についても本人たちに早く、早くという焦りがあるそうです。そして通じているようでもまだまだ通じていないこと。この夏の猛暑に耐えるといったフィジカルな面も考えなければならないことなど。見守る必要があるとおっしゃいました。それを聞きながらパウロの言葉『精神ははやれども肉体は弱し』を思い出し、今まで私をはじめ年配の人に当てはめてきたこの言葉は20歳の姉妹にも当てはめて考えなければならないと思いました。御本人たちは“早く、早く”と思い私たちは“まだか、まだか”と思ってしまいます。メンタルな面だけが走る社会は危険ですね
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