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2014年9月28日日曜日

「ホットひと息」 「6人のその後」



「ホットひと息」 「6人のその後」     シスターL


  派遣された6人の姉妹は、日本語の練習もかねていろいろ話しかけて下さいます。「おはようございます」「夕べはよく眠れましたか」「朝食はすみましたか」以前ならあまり気にかけない言葉でした。自分を振り返ってみて今日はこれをやらなければあれを終わらせなければと思う毎日でした。  

 「どこに行きますか」と言うので「クリニック」と言いましたら「連れて行ってください」「あなたは足が痛くないからダメ」と言いましたら腕をつかんで「お世話します」私にかまわないでという生活を送ってきた私ははっと気づきました。なんと私は自分中心だったことかと。

 地区長様からみんなに6人の姉妹の状況についてお話がありました。日本語の上達についても本人たちに早く、早くという焦りがあるそうです。そして通じているようでもまだまだ通じていないこと。この夏の猛暑に耐えるといったフィジカルな面も考えなければならないことなど。見守る必要があるとおっしゃいました。それを聞きながらパウロの言葉『精神ははやれども肉体は弱し』を思い出し、今まで私をはじめ年配の人に当てはめてきたこの言葉は20歳の姉妹にも当てはめて考えなければならないと思いました。御本人たちは“早く、早く”と思い私たちは“まだか、まだか”と思ってしまいます。メンタルな面だけが走る社会は危険ですね

 

2014年7月26日土曜日

「ホットひと息」 イエス様と共に歩む




「ホットひと息」 イエス様と共に歩む    シスターL



派遣された6人の姉妹は順調に日本語が進歩しています。廊下の掲示板に一ヶ月の典礼暦を書くのが私の仕事なのですが7月分を書いておりましたら「一か月がたつのは早いですね」と言われました。二十歳の姉妹の早いということの中身とあと十年は働きたいなと思っている者の中身は違うでしょうけれど、この姉妹は『互いに愛し合いなさい』とのイエス様の望みを言葉にしたのですね。 

若い姉妹たちを見ながら修道生活を始めたころの自分と重ね合わせて感慨深いものがあります。自分のこれまでの道を振り返りながら、そのうちにこの姉妹たちもまるで私と同じ道を歩むように思い込んでしまいました。あるとき神様は気づかせてくださいました。それぞれの道の歩みを決めるのは神であると。誰も人の人生はわからないものであることを。イエス様と歩む道のりは祝福に満ちたものであり、ひとの同情とか思惑に関係のない新しいものその人だけのものなのだと気づきました 

 そして私の将来も先輩たちが歩んだ道をただたどるのではなくて、たとえその様に写ったとしてもイエス様と紡ぐ新しい道なのだと思いました。この頃感じていることをブログにしてみました。  

2014年6月29日日曜日

「ホットひと息」 修練者その後 



「ホットひと息」 修練者その後    シスターL



このブログのはじめの頃メキシコから新しい姉妹6人が派遣され、来日したことをお知らせしました。今回はその後の姉妹のお知らせです。



 最近、日本語を話すようになりました。みんな愛に満ちた言葉で話しかけて下さいます。「これか

ら何をしますか」と午後の予定を聞きます。「足が痛いのでクリニックに行ってきます」と言うと「お大事に」という言葉がかえってきます。昼食後わかれる時に「おやすみなさい」と言われました。しばらくして「足が痛いのはなおりましたか」と聞かれ「まだ痛い」というと手を合わせて「お祈りします」と言ってくれます。やはり言葉が通じるということはよりよくその人を理解し深い交わりに導いてくれますね。  



 そして時には爆笑します。「日本語の先生はお幾つぐらいですか」と聞いたら「たくさん」との答え。どうやら60を超えているらしいです。また歌の練習があるらしいので「どこでしますか」と言ったら「冷蔵庫」食堂といいたかったらしいです。子供が話し始めた時のような新鮮さと感動と笑いを私達に与えて下さっています。やがてこの姉妹たちは私たちの事業を引き継いでくれます。将来に幸多からんことを祈らずにはいられません。