2021年10月20日水曜日

10月は「宣教の月」


 10月は「宣教の月」、そして今年は、10月24日(日)が「世界宣教の日」になっています。

 今年の「世界宣教の日」教皇様のメッセージのテーマは、「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(使徒言行録420)となっています。

 神の愛の力を経験したとき、個人や共同体の生活の中で御父の存在に気づかされたとき、わたしたちは、見たことや聞いたことを告げ、分かち合わずにはいられません。

 今日イエスは、世界の周縁部へと出向かせ、いつくしみの使者、あわれみの道具とする、真の愛の物語として自らの召命を生きようとする心を必要としています。そしてこれこそが、方法は異なれども、主がわたしたち全員に向けて行なっている呼びかけです。周縁部は、わたしたちの近くに、都市のただ中に、家庭の中にもあることを忘れてはなりません。とりわけこのパンデミックの時代には、 私たちは、近くにいるのにもともと仲間として関心を持たない人々に届くように友人の輪を広げていく、日々の努力が必要なのです。宣教を生きるということは、キリスト・イエスと同じ感覚を持つ覚悟をすることであり、主によって、そばにいる人はだれであれ、自分の兄弟姉妹であると信じることです。主のあわれみの愛がわたしたちの心をも目覚めさせ、わたしたち皆を宣教する弟子にしてくださいますように。

  そして、今年2021年10月23日は、本会の来日70周年記念の日にあたります。

「世界宣教の日」教皇メッセージ


2021年10月16日土曜日

「キリスト者の召命の宣教的側面」について

 


神の声に引き寄せられ、イエスに従う道を歩む人々は、宣教と愛の奉仕を通して兄弟姉妹に福音を伝えたいという、抑えられない願望を自らの内に容易に見いだします。すべてのキリスト者は福音宣教者とされています。

 このように宣教という使命は、キリスト者の生活に飾りのように付け加えられるものではなく、信仰そのものの核心です。主との結びつきには、みことばを告げる預言者として、また神の愛のあかし人として世界に派遣されることが伴います。 

この世で、目に見えるイエズスの使命はもう終わりました。主の役目はもう終わったのですが便にこの世の終わりまで御聖体の内に残り、そこからは、主のように善を行いながらこの世を通り過ぎたいと思ぅ人々にとって促進者、援助者、支持者、導き手となられたのです。(福者マドレ・マリア・イネス)

 すべての宣教する弟子は、「よいわざを行い、すべての人をいやした」(使徒言行録1038参照)イエスと同じように、人々のもとに「出向く」よう招く神の声を心の中で聞きます。すべてのキリスト者は、洗礼の恵みによって兄弟姉妹に「キリストを運ぶ人」になると、(一般謁見講話、2016130日参照)。このことは、奉献生活や司祭職に招かれ、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と進んでこたえた人々にとりわけ当てはまります。

主は始められた仕事を続けるためにあなたを選ばれたのです。それは[キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けている所を、あなたの身で補うためです](コロサイ、124 参照) (福者マドレ・マリア・イネス)

わたしは、とりわけ司祭職と奉献生活への新たな召命を神に願い求めるためにも、主とのこの深い友情を生きるよう皆さんを強く励まします。とりわけ若者に対してキリストに従うよう説き、提案する情熱を、わたしたちは今も取り戻すことができます。

 救い主の母、至聖なるマリアは、自らの若さと情熱をみ手にゆだね、神に対して同じ夢を抱く勇気をもっておられました。マリアの取り次ぎによって、マリアのように開かれた心、主の呼びかけに「はい。わたしはここにおります」と答える心構え、そして全世界に主を告げ知らせるためにマリアのように出向く(ルカ139参照)喜びがわたしたちに与えられますように。

 20161127日教皇フランシスコメッセージからの抜粋と福者マドレ・マリア・イネス

2021年9月22日水曜日

キリストは生きている


召命

 人間は誰も一つの召命を持って生まれてきます。人は、人生の途上で必ず、自分に与えられたその召命を選択しなければなりません。


 あなたの召命は、単純に、あなたの果たすべき職務もちろんそれによって表されるものですが|だけで成るものではありません。それ以上のものです。多くの努力や数々の行為を、仕えることへと向かわせる道筋なのです。だから召命の識別において重要なのは、社会に対するそうした具体的な泰仕に必要な資質が、自分にあると気づけるかどうかです。
 それにより、そのような任務にはとても大きな意義が生じるのです。それらが、お金を稼ぐため、無為に過ごさないため、他者を喜ばせるためといった、もろもろの行為の積み重ねであることをやめるからです。わたしたちは呼ばれたのだから、そうしたことすべてが召になるのであり、そこにはわたしたちの実用的な選択以上のものがあるのです。究硫的には、なぜ自分が造られたのか、この地上で何をして過ごすのか、わたしの人生に主が望むものは何かを、知るということです。 主はわたしに、場所や時や詳細を、すべて伝えてはくださいません。 それらはわたしが賢明に選択するものです。 ただし、主はわたしの創造主、わたしの陶工であられるのですから、わたしに示してくださる人生の指針があるはずで、わたしは、主によって形成され、主に導かれるために、その声に耳を傾けなければなりません。それができれば、わたしはなるべき自分になり、自分に固有の現実に対してまっすぐに向き合えるでしょう。

                       教皇フランシスコ  使徒的勧告 「キリストは生きている」より








2021年9月7日火曜日

マリアの誕生 祝日

 教会は毎年9月8日に聖母マリアの誕生の日をお祝います。 福音書にマリアの誕生についての情報は書かれていませんが、教会で伝統があります。

 聖母マリアの誕生の祝日のお祝いは、6世紀から東部で知られています。 それは、ビザンチンの典礼の年が始まり、9月8日に設定されました。 西洋では、7世紀頃に導入され、行列の連祷で祝われ、サンタマリアラマヨール大聖堂で終わりました。

 マリア的である宣教クララ修道会でも毎年、Niña Maria(幼きマリア)の像を飾って荘厳しお祝います。👇 この写真は群馬県大泉修道院の聖堂です。

また、今年はマリア様への贈り物として、こいずみ ゆりさんの「マリア様の手を握り」の歌を歌って、ビデオ作りました。母であるマリア様といつも一緒!Vamos Maria!

2021年8月15日日曜日

 

平和のために

 

8月には、6日に広島の原爆、9日に長崎の原爆、15日に終戦記念日を迎え、戦争のない世界を願いながら平和のために祈る日々を過ごします。平和のために祈る以外、わたしには具体的に何ができるでしょうか?今置かれた場で、わたしは平和のために働く者となっているでしょうか?

 

          神よ、わたしを平和のために働く者としてください。

憎しみあるところに愛を

争いあるところにゆるしを

分裂あるところに一致を

疑いあるところに信仰を

誤りあるところに真理を

絶望あるところに希望を

闇あるところに光を

悲しみあるところに喜びをもたらす者としてください

アッシジの聖フランシスコ「平和を求める祈り」より

           わたしたちの修道会の創立者、福者マリア・イネスは、修道会創立の認可を受けた4ヶ月後に、早くも日本に4人の宣教女を派遣しました。それは70年前のことです。当時日本は敗戦の傷跡がまだ深く残っていて、多くの人々は苦しい生活を強いられていました。このことを知った福者マリア・イネスは、日本で修道会を創立したいと望んだほど、その心は日本の人々への思いで一杯でした。そして最初の宣教地となったのは、満州から命がけで引き上げてきた人々が浅間山麓を開墾して作った村、大日向でした。そこで、大日向の人々と苦楽を共にする生活が始まったのです。詳しくは、動画「来日70周年」 https://youtu.be/7lkrM7KYHNgをご覧下さい。

2021年8月1日日曜日

「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」第2回




生きる

 イエスは自分こそイザヤが預言した救い主であり、捕らわれている人を解放し、目の見えない人の視力を取り戻し、すべての被造物に神のいつくしみ深い愛を告げるために油を注がれた者であると、イエスは告げました。そして「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ421)と断言したのです。

 福音の喜びは、神との出会いと兄弟姉妹との出会いに向けてわたしたちの心を開きます。しかしその喜びは、ぐずぐずと怠けているわたしたちを待ってはくれません。もっとふさわしいときを待っているのだと言い訳をしながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに今日、選択しなければ、福音の喜びはわたしたちのもとで実現しません。今日こそ召命のときです。キリスト者の使命は今現在のためのものです。そしてわたしたち一人ひとりは――結婚して信徒として生きるにしても、叙階されて聖職者として生きるにしても、また特別な奉献生活を送るにしても――、今ここで主のあかし人となるよう求められています。

主は今も、ご自分とともに生き、とりわけ親しい交わりの中でご自身に従い、直接仕えるよう呼びかけておられます。み国のために完全に自分自身を捧げるよう主が求めておられることが知らされても、決して怖がらないでください。神のために、そして兄弟姉妹への奉仕のために永遠に自らをすべてささげることは素晴らしいことであり、偉大な恵みです。

 主はご自分に従うよう、今日も絶えず呼びかけておられます。その声を聞き、教会と世界における自分の使命を識別し、神が与えてくださった今日この日に、その使命を生きるのです。

教皇フランシスコのこの言葉は、福者マリア・イネス・テレサの2つの考えに集約されます。「イエスの "来なさい "という言葉には、常にその "行きます "という言葉を速やかに、喜びをもって、喜んで答えること」です。(霊的黙想)

"私たちは主のものであり、主は私たちを呼び続け、主の恵みで私たちを満たしたいと思っておられます “。(971423)

 人となられたみことばを聞き、受け入れ、生きた辺境の地の少女、至聖なるマリアがわたしたちを守り、わたしたちの旅路にいつも寄り添ってくださいますように。

 

55回「職業のための世界祈願日」の教皇メッセージより抜粋