「ホットひと息」 「神様のまなざしの中で」
「ホットひと息」 「神様のまなざしの中で」
シスターL
11月は典礼歴では死者の月で、死についていろいろと思い巡らす機会がありました。今まで支部修道院におりましたが、3年前に本部修道院に異動したおかげで会員の病気や死に直面致しました。何度となく病院に足を運びもう何もできなくなって横たわっている姉妹を見舞いました。元気いっぱいだったころの姉妹を思いすべては過ぎ去る感を強くいたしました。
人から良く思われようと悪く思われようと好かれようと嫌われようと関係なく今は病気です。人間のレベルで重要な仕事をしようと院内の目立たない仕事をしようと今は同じ病気です。そしてイエズス様の声が聞こえました。「私の父に祝福された人、天地創造の時からあなたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたは私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた。」
人間は最終的には他人のことなどかまいません。忘れ去っていきます。そのようにして人生で多くの人と出会い別れてきたのです。しかし神は記憶しています。これはあまりに神秘で実感がわきません。しかし何と慰めに満ちた言葉でしょう。私のすべてを知っている方がいるということは何と心強い事でしょう。許されたことの数々、許したことの数々許しを願わなければならないことの数々。神は全てご存知です。まさにこの世から永遠が始まっています。
やがて私も聞くでしょう。「主よ、いつ私は飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て,お訪ねしたでしょうか。」そして私も知るでしょう。あの日あの時、神の眼差しが私の上にあったことを。
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