2015年9月28日月曜日

おばあちゃん2人



おばあちゃん2人

シスタ―L

 秋の気配も色濃くなったこの夜、忘れられない2人のおばあちゃんの話を聞いて下さいますか。何年か前テレビで見たのですがお二人とも80歳を超えています。

 一人の方は今も靴磨きをしています。背負いかごに必要なものをいれていつもの場所にいつもの時間にぴしゃりと座ります。靴墨は手でポンポンと付けていきます。この方法は自分で考えたそうです。それから磨きます。髪には100円ショップで買ったようなぱっちん止めの髪飾りが2、 3個ついています。下を向いて磨くのでお客様の目を楽しませるためでしょう。スタジオでタレントさんの靴を磨いたのですが、その時の会話が心に残りました。「旦那さんには家の中をやってくれる人を見つけなさい。あなたは外で働いてお金を持ってきなさい」男は外で働く、女は家の中のことをやるなどとは言いませんでした。長く生きてきた方の知恵、また靴磨きを通してみた世の中の温かさとしなやかさに心を打たれました。

 もう一人のおばあちゃんは今も茨城県か栃木県から銀座に行商にやってきます。昔のようにたくさんの荷物はもてませんが午前中で終わるぐらいのものです。もう家計のためということもないのでしょう。朝一番の電車に乗ります。乗り遅れるといけないので朝ごはんはお弁当を持ってきて駅で食べます。お弁当の中味が写りましたが手づくりのほっこりこりするものでした。そしていつものところに持ってきたものを並べます。トマト、ナス、キュウリ等々。するとお得意さんが来ます。コックさんは品物がよいからと買いに来ます。又ある人はおばちゃんから元気をもらうためにとやってきます。私もテレビを見ながら元気をもらいました。そしてお昼頃軽くなったかごを背負って帰ります。日差しの中爽やかな風がふぃています。

 聖書のことばを想いました。 
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々、は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは、神の子と呼ばれる。
                     (マタイ5・3-9)





2015年8月28日金曜日

修道院の夏 

修道院の夏

シスターL

 間もなく楽しかった夏休みも終わろうとしています。爽やかな風が吹いて真夏はあんなに望んでいたのに何か物寂しくなります。つれずれに修道院の夏をお話ししようと思います。

 今年の夏はたいへんに暑く私も高齢者ですので熱中症に気を付けて苦手な水分補給をまめに致しました。まず1年分の大掃除をします。日頃行き届かないところを綺麗にします。外側を綺麗にする行為は内側もきれいにする行為にもつながります。

修道院も8月は時間割が変わります。午後のお祈りが30分早くなり夕飯も早くなります。その分夜テレビを見ました。今年は戦後70年に当たり色々な番組が企画されみんなで見ました。新しく知ったこともいろいろありました。年の黙想をした姉妹もいます。それぞれ自分の時間を調整しながら研修にも行きました。それから各自家族の下に帰省いたしました。派遣された6人の姉妹は各支部に手伝いに行きました。多摩川の花火も夜空に美しく輝きました。

  また9月から平常の時間割に戻ります。幼稚園も始まり寮生も戻ってきます。各クラスも始まります。派遣された6人の姉妹の日本語の勉強も始まります。

 

教皇様の言葉をお聞きください。『皆さんの生活、皆さん自身の中心にキリストを据えて下さい。たえずキリストを求めなさい。受肉したみ言葉として御父と人々 に関わったイエスの生き方と行動へと変えられるために、キリストの御顔を求めキリストを生活の中心に置きなさい。使徒パウロのように、キリストがあなたを 征服するようにして、そのかたの思いと生き方を帯びる者となりなさい。キリストの手によって触れられ、キリストの声によって導かれ、キリストの恵みに支え られるようにしなさい』

2015年7月25日土曜日

母の願 



母の願 

シスター・L

 私は713日この日に初誓願を立てました。去年1015日のブログでシスターMGが書いておりますが彼女も含めて私達5人です。入会から一人も欠けることなく今に至っております。入会してから41年がたちました。5人とも41歳年を取りました。近年、世界的に召し出しの数が少なく私達の会も例外ではありません。でも神様にまかせていればいいんだと思っていました。

 いつの頃から帰省すると母が『新しい人が入ったか?』『メキシコからだれかきたか?』と聞きようになりました。毎日仏壇の前でぶつぶつ言っていましたから修道院に帰ってきて、母は仏様に、ご先祖様に亡くなった父に召命の為に祈っていると冗談として話しました。

 ある日、日本地区長が『メキシコから6人若い姉妹が来ます』と発表なさいました。その時私は体が止まりました。貧しい無学な母の願を神様は聞いていたんだ、どんないい組織でも人がいなければ消えるということを母は知っていたんだと気ずかされました。このことは神様と私の秘密だったのですが、あることがきっかけで話してしまいまた。そしたらなぜか私も気が楽になりました。 





2015年6月25日木曜日

動物の世界,植物の世界、そして人間の世界



動物の世界,植物の世界、そして人間の世界


シスターL

 6月はイエス様のみ心の月です。私達はこのみ心を心として生きるようにと召されています。祈祷書にはみ心の連願が載っており、毎年6月になるとこの祈りを共同で唱えます。共同の祈りは時にさらさらと流れてしまいます。それではイエズス様のみ心を生きるとはどう言うことでしょうか。



 かつて大分県の佐伯市に支部修道院がありました。そこにいるころお客様がお見えになると高崎山の猿を見にお連れしたりしました。A群、B群、C群とグループがあって、だいたい決まった時間に餌をもらいに下りてきます。その時係りの方がマイクで説明します。この子は婦人会長の孫だとか、ボスの遠い親戚に当たるとか面白可笑しく話します。丁度、前を赤ちゃんをおんぶした猿が通りましたのでこの子は自分の子ですかと聞きました。そしたら「誰が他人の子を負ぶいますか」と言いました。なるほどこれが動物の世界かと納得しました。朝顔の花が大好きで夏になると朝顔を植えるシスターがいます。今可愛い花が咲いています。二人で眺めていますとあの弦はどうしても塀の方に行ってしまうのと教えてくれました。放っておくより仕方がないねと言いながら生き延びる時は生き延びるのねと楽しくおしゃべりし、植物の世界の自然淘汰ということで見解が一致しました。神様は動物の世界、植物の世界をその様に造りました。



 人間の世界はどうでしょうか。互いに愛し合いなさい これが至上命令です。誰も切り捨てることなく、 イエス様のみ心を生きなければなりません。先週の神父様のお説教で気ずかされました。 第2朗読のことばです。ひたすら主に喜ばれるものでありたい(IIコリント5‐9)そう願っていれば主のみ心もおのずとわかってくるのではないでしょうか。


2015年5月22日金曜日

5月はマリア様の月



5月はマリア様の月   

シスターL


 かつて佐賀県で教会を手伝っていた頃幼稚園の子供たちとマリア祭を致しました。5月のさわやかな青空の下バラの花びらをまいてマリア様をたたえました。神父様が『今からのち、いつの世の人もわたしを幸いなものというでしょう』というマリア様の言葉を引用して、予言のとうり2千年たった今もこうしてマリア様は称えられていますよ。と子供たちに話したのを印象深く覚えています。


 マリア様はユダヤ人の一少女でした。イエス様を宿した時から信仰に新しい光を受けました。彼女はこの信仰を、あらゆる母親が持つ、日々の素朴な、数えきれない仕事と心配事のうちに生きました。即ち、食事と衣服の世話、家の掃除などです。このような聖母の普通の生活こそが、彼女と神、又彼女とイエス様との間の特別な関係と深い対話が展開される場だったのです。


 修道院でもこのマリア様をたたえて今月の最後の日にお花を捧げてお祈りをしご戴冠と言って冠を捧げます。冠を捧げる人はくじ引きで選びます。私たちも2千年たった今もマリア様を褒め称えています。