2012年3月25日日曜日

MADRE INES 聖パウロのような『宣教者のシンボル』


聖パウロの神秘性は、キリスト教初期から現代に至るその歴史の中で教多くの人々に霊感を与える泉となった。自分の宣教家族の中に聖パウロの精神性を浸透させたいと願っていた御聖体のマドレ・イネス・テレサの霊性においても同じであった。

キリストに心酔し、自分への神からの計画に忠実な使徒は、「わたしを愛し、私のために身をささげられた方(Gal 2,20)」をみいだしたのである。「キリストの愛がわたしを虜にし(2Cor514)」、「キリストが速やかに統治されますように(1Cor15,25)」は、マドレ・イネスが自身の設立した宣教家族のために編案した標である。聖パウロとマドレ・イネスの思いを自分のものにすれば、キリストの聖心の鼓動(思い)を感じとることができる。だから、マドレ・イネスにみられるパウロの教義は、「私たちの希望であるキリスト(1Tim1,1)を生き、宣教するための援けとなるであろう。なぜならば、教皇ベネディクト16世が、その第2の回勅のなかで書いておられるように、「私たちは希望によって救われた(Rom8,24)」からである。私たちと時代を共有するマドレ・イネスは、絶えず聖霊に導かれた活動的な女性であり、単純さと深みを併せ持ち、そして、神のみ言葉の光、特に教会に活力を提供した異邦人の偉大なる使徒の宣教・霊的活動による秘儀に照らされて、彼女自身の手紙の中で、パウロの書簡を直接読むことで、聖パウロのように自身の貧しさを体験した者だけが「キリストの愛は人智を超える(Ef319)」ことを悟ることができる、と私たちに宣言するのである。

2012年3月18日日曜日

VIVIR PARA CRISTO / キリストのために生きょう
創立者は、神と共に歩む信徒のために,修道会のファミリー属する一つの共同体作りました。この信徒の共同体が共同体宣教共同体、すなわちバンクラールと言いうのクループです。


2012年2月15日水曜日

バンクラル 2012

Es Urgente Que El Reine

.M.(創立者)の列福式もあと数十日になって参りました。メキシコ地区では総長様初めそれに携わっているシスター達は喜びの内にも目が回る忙しさで走り回っています。皆様はどうぞ沢山のお祈りで応援して下さい。
さて、先日11日のバンクラル誓約更新の日の様子を分かち合いたいと思います。
軽井沢修道院からシスター全員、大泉修道院からシスター3人、飯田修道院からシスター1人が参加して下さいました。11時より長崎教区の下窄神父様司式(以前よりバンクラルでお世話になり、皆様の希望により実現)のミサには誓約者が36人集まりました。又書面での誓約者は21人、そして終生誓約者牧島さんも参列、誓約者の御家族や関係者たちを含めて聖堂いっぱいの人々でした。ミサ後、数人のシスター達とバンクラリスタの大内葉子さんが「バンクラルの会則」を訳して下さり、パウロ会で本にしたものをお一人お一人にお渡しいたしました。
これは日本語として全部できたのは初めてです。各支部の図書に入れて戴き、皆様も読んで下さる様お願い致します。序文から始まって、101の項目まであります。内容は非常に深く霊的で組織的です。私達宣教クララ会員にも役に立つものです。是非一度は通読して下さい。
2時 より修道院の食堂で、炊き込みご飯、から揚げ、ケサディージャ、フルーツポンチェ、お菓子、お茶、コーヒーなど軽食でしたが、皆家庭的雰囲気の中で楽しく おしゃべりして過ごしました。その後、聖堂に戻り、神父様より「信仰の年」に当たっての講話に続いてヌエストラ・マドレ(創立者)の列福式への準備として ホームページを見ながら少し説明を致しました。
すべては午後3時ごろ終わり、次回の集まりを楽しみに解散致しました。写真を少し隣のスライドショでご覧ください。

インフルエンザが流行っています。くれぐれも皆様お気をつけて

2012年2月13日月曜日

歴史 3



創立者は1953年、宣教クララ会と協力して、宣教活動をしたいと望む信徒のため、信徒宣教師会「バンクラル」を創設。

1979年には「普遍的教会のためのキリスト宣教師会」も創設。

1981722日午後7時、ローマ総本部において静かにその清い霊を御父に渡し、生涯の奉献生活を全うした。

1951年、メキシコで創立された御聖体の宣教クララ修道会は、1969年本部をローマに移し、世界に向けて宣教活動を展開して行った。

1951年・・・メキシコ、日本

1952年・・・アメリカ

1959年・・・コスタリカ

1960年・・・シエラレオーネ、インドネシア

1965年・・・イタリア

1967年・・・スペイン

1972年・・・アイレランド

1976年・・・ナイジェリア

1987年・・・韓国

1992年・・・ドイツ

1993年・・・インド

1994年・・・ロシア

2002年・・・アルジェンティン

歴史 2




1944823日、宣教修道女を志願した5名の修道女とともに、観想修道院に別れを告げ、クエルナバカ市で新しい生活を始めた。困難は大きがったが、6年後には修道女の数は92名に達し、1951622日、教皇庁直轄修道会としての認可が到着。ここに「御聖体の宣教クララ修道会」が生涯を閉じるまで続けられた。

創立者は、宣教会創設が確定するやいなや、かねて計画していたように認可の3ヶ月後、日本に向けて4名の宣教女を派遣した。その後、アメリカ、インドネシア、アフリカなどに、続々と宣教女を送った。  (後記、参照)

本会の目的=神の光栄と、会員の聖化、またキリストのみ国の発展のため、創立者のカリスマに沿い、会憲に従い、貞潔・清貧・従順、福音に生きる。そして、主である神と全人類の母、本会の保護者であるグアダルペの聖母が、すべての人に知られ、愛されるように務めること。これらの目的は、具体的には次のように生かされる。ミサを中心とする時課の典礼、 教皇と司祭のために絶えず祈ること。 キリスト教国、 非キリスト教国での宣教。児童、成人のカテケジス。医療、保険衛生の仕事、青少年の教育、女子寮、黙想の家。

本会の精神と霊性=精神は、宣教的、聖体的、司祭的、マリア的。その基礎は、み旨への一致である。 そこから沸き出る喜び、単純、信頼に満ちて生きる。

創立者に出会ったことのある人は、彼女の中に喜びと単純が輝いていたという。また、遺言の中に「神への信頼に生きること以上に、私にとって快いことはありません」とあるように、彼女は生涯のとのような時も、神に対する深い喜びと信頼に満ちていた。