2025年1月30日木曜日

希望は欺かない❕

希望は欺かない




 皆様、2025年は神様から特別な恵みが与えられる聖年です。聖年とは、一体どのようなものなのでしょうか?

カトリック教会では、聖年は、神の特別な恵みと赦しが与えられる特別な期間とされています。およそ25年ごとに巡ってきます。この期間中、カトリック信者は、罪の罰を完全に免除される「全免償」を受けることができます。聖年の期間は、イベントや巡礼、そして慈悲と和解を深めるための様々な活動で彩られます。

教皇フランシスコは、ローマの大聖堂にある聖なる扉を開くことで、聖年の始まりを告げます。これは、神様の救いの扉が開かれたことを象徴する重要な儀式です。聖年の間には、信仰を深め、キリスト教の生活を実践するための様々な祈りと活動が行われます。

さて、ここからは、教皇フランシスコの通常聖年公布大勅書の一部をご紹介いたします。ぜひご一読ください。そして、最後に聖年のための祈りを掲載しますので、共に祈りましょう。

 


 1 「希望はわたしたちを欺くことがありません(Spes non confundit)」(ローマ5・5)。使徒パウロは希望のしるしの名のもとに、ローマのキリスト者の共同体に励ましを与えます。古来の伝統に従って教皇が25年ごとに宣言する、次の聖年の中心となるメッセージも希望です。わたしは、聖年を過ごすためにローマを訪れる人たちと、使徒ペトロとパウロの町に行くことはかなわずとも部分教会において聖年を祝う人たち、そうしたすべての希望の巡礼者のことを思います。すべての人にとって聖年が、救いの「門」である主イエス(ヨハネ10・7、9参照)との、生き生きとした個人的な出会いの時となりますように。教会は、主イエスを「わたしたちの希望」(一テモテ1・1)として、いつでも、どこでも、すべての人にのべ伝える使命をもっています。

 すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望はよいものへの願望と期待として、一人ひとりの心の中に宿っています。けれども将来が予測できないことから、相反する思いを抱くこともあります。信頼から恐れへ、平穏から落胆へ、確信から疑いへ―。わたしたちはしばしば、失望した人と出会います。自分に幸福をもたらしうるものなど何もないかのように、懐疑的に、悲観的に将来を見る人たちです。聖年が、すべての人にとって、希望を取り戻す機会となりますように。神のことばが、その根拠を見つけるのを助けてくれます。使徒パウロがローマのキリスト信者にあてて書いたものに案内してもらいましょう。


聖年の祈り

天の父よ、
あなたは、わたしたちの兄弟、御子イエスにおいて信仰を与え、
聖霊によってわたしたちの心に愛の炎を燃え上がらせてくださいました。
この信仰と愛によって、
神の国の訪れを待ち望む、祝福に満ちた希望が、
わたしたちのうちに呼び覚まされますように。

あなたの恵みによって、わたしたちが、
福音の種をたゆまず育てる者へと変えられますように。
この種によって、新しい天と新しい地への確かな期待をもって、
人類とすべてのものが豊かに成長していきますように。
そのとき、悪の力は打ち払われ、
あなたの栄光が永遠に光り輝きます。

聖年の恵みによって、
希望の巡礼者であるわたしたちのうちに、
天の宝へのあこがれが呼び覚まされ、
あがない主の喜びと平和が全世界に行き渡りますように。
永遠にほめたたえられる神であるあなたに、
栄光と賛美が世々とこしえにありますように。
アーメン。

Firma-PAPA-Francesco.png

 

2024年12月1日日曜日

待降節

 今日から待降節に入ります。
幼子イエス様をお迎えするために心の準備をしましょう!!💗




2024年11月3日日曜日

私たちの歩みは聖性を目指しているでしょうか

 

 教皇フランシスコ様のメッセージに耳を傾け、聖性とは賜物であり、歩みであることを心に留めましょう。


 教皇様の真福八端の聖性のポイントを考えてみましょう。

    ー貧しさを心に待つこと、それが聖であることです。

  ー謙虚に柔和に応じること、それが聖であることです。

  ー人と共に涙が流せること、それが聖であることです。

  ー飢えと渇きをもって正義を求める、それが聖であるとです。

  ー思いやりの心で目を向け行動する事、それが聖であることです。

  ー愛を曇らせるものの一切ないまっさらな心を保つ、それが聖であることです。

  ー周囲に平和の種をまくこと、それが聖であることです。

  ー日ごと福音の道を、それに苦しめられることになっても、受け入れること、それが聖で

             あることです。


     私たちの生活の中で少しでも実行に励みな がら、ご一緒に聖性の道を

    歩みましょう。


  






2024年10月10日木曜日

10月宣教の月




収穫は多いが、働く人は少ない。だから、刈り入れのために働く人を送って下さるように、収穫の主に祈り求めなさい。(マタイ93738


天の御父よ、あなたのぶどう畑に働く人を多く遣わしてください。

私たち、私をお遣わしください。

福者 マドレ・マリア・イネス・テレサ





洗礼を受けた方々は皆、宣教の使命を頂いています。この使命は福音的です。なぜなら、イエス様がそうおしゃっています。「全世界に行き、造られたすべてのものに福音を宣べ伝えなさい」。マルコ1615

ほかの箇所でも「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす」。ヨハネ2021

 


私たちは、この呼びかけに応える必要があります。神の御国を伝えるために、優れた業をしなくてもいいです。一人ひとり誰であれ、置かれているところでイエス様の証人になりましょう。

 

福者 マドレ・マリア・イネス・テレサは、修道会の娘に単純な生き方を教えてくださいました。

 

宣教師であること、これが私たちの最も貴重な権利です。それは、人生のいかなるときにも
決して忘れてはならない、義務であり、権利です。

宣教師になるために、どのように...必要であれば命をささげるまでに!どこで...どこでも!いつ...いつでも!どこまで...従順によって。

娘たち、犠牲を通して苦しみの中で、死に至るまで宣教師でありなさい。しかし喜びの中にも、日々のエウカリスチア、祈り、礼拝、使徒職、様々な仕事の中で、眠っている時でさえも、食事を頂くときも、息をする時も、私たちの命が分刻みで心臓の鼓動ひとつひとつのうちに消費されていく中で、宣教師でありなさい。マドレ・マリア・イネス・テレサ



イエス様に全てを捧げて、多くの人々の幸せのために心から祈り、いただいた恵みに感謝することは、宣教につながって世界の向こう側まで行き渡ると思います。







あなたも宣教的の魂をもっています。小さなことでも大きな愛をもって行うならそれで十分、神様にとって尊いものです。

 

 

 



マリア様は一番忠実な弟子でした。宣教師の模範を示してくださいました、彼女が私たちの
歩みを照らし続け、励ましてくださるように祈りましょう。

 

 

全てはイエス、マリア、霊魂の救いのために。

2024年6月1日土曜日

6月 イエスのみ心の月


人々をあれほど愛したみ心をみなさい。

人々のために自らを与え尽くすあらゆる方法をとりました。そして、多くの人から受けたのは、忘恩とさげすみの仕打ちだけでした。それは、わたしが受難の時受けた全ての苦しみよりも、もっとわたしを苦しめます。

(聖女マルガリタ・マリアへのイエスの言葉)

 





マドレ・マリア・イネスは、イエスのみ心に対する深い信心を持っていました。彼女はどんな時でも主に信頼しました。彼女は病床で、こう言っていました。

「神に信頼することは、主が私にくださった一つの恵みだと思います。心の底から、忠実に、本当に、信頼の中に生きること以上に甘美な生き方はありません。なぜなら、神は全能、愛そのものでいらっしゃるからです。けれども神は第一に憐れみの方です。全能者として、また、その他の全ての属性をお持ちではあっても、それら全てに勝るものは、その憐れみ深さなのです。

また、マドレ・マリア・イネスの書き物の中でこのように言っています。

イエスの聖なる御心、私はあなたに信頼します!

というのが、今もいつも、あらゆる瞬間、特に困難な時、しかし順調な時でさえも、常に途切れることのない、私の魂の神への叫びです。

 

イエスのみ心よ、あなたに信頼します!


 

それを言う時に、私が待ち望むすべての事、彼にどれほど信頼しているかという事をすべて言うのです。それで私も彼も満足します。貧しい人の信頼は彼にとって喜ばしいことです!

 

キリストご自身が確約されたとおり、キリストのみ心を奪う霊魂とは、信頼する霊魂であることをよく考慮しなさい。

(福者マドレ・マリア・イネスの著作より)




わたしたちを愛である神へと導くのは信頼、ただ信頼だけです。        (幼き聖テレジア)


今月、イエスの愛に感謝しましょう!

そして祈りましょう!

柔和謙遜であるイエスのみ心、

わたしたちの心をみ心にあやからせてください

2024年5月7日火曜日

5月は「マリア様の月」

 

   5月は「マリア様の月」ということを初めて知ったのは、修道会入会の年でした。それまでの一般使徒としての5・6年間にはマリア様のことを耳にしたことがなかったので、とても新鮮な心でマリア様の月を過ごしたことを思い出します。寒さから解放され、小鳥の声が聞こえはじめる軽井沢の初夏の季節、母としてのマリア様の深い愛をさわやかに感じました。その後、長い年月幼稚園に関わっていましたので。毎年、5月には「マリア祭」を行いました。


子どもたちが白いドレスを着て、ベールをかぶり夢を見ているような瞳をして、”アヴェ・マリア”の祈りをし、マリア様にお花をささげました。子ども一人ひとりのこれからの長い生涯を、マリア様が清く守ってくださるよう祈る5月でした。