2022年10月23日日曜日
2022年9月25日日曜日
心に耳を傾けることを学ぼう
教皇フランシスコのメッセージに耳を傾けましょう。
「識別」についてのメッセージで教皇は霊的識別を学ぶ例として、聖イグナチオ・デ・ロヨラの体験を取り上げられた。
霊的識別とは何かを教える例として、聖イグナチオ・デ・ロヨラの人生を決定づけた出来事がある。イグナチオは戦争で片足を負傷し、家で療養していた時、退屈しのぎに何か読み物を求めた。彼は騎士物語が好きであったが、家には聖人たちの伝記しかなかった。仕方なしにそれを読んでいるうちに、彼は新しい世界に目覚めた。
その新しい世界は彼を捉え、騎士の世界と肩を並べるまでになった。彼は聖フランシスコや聖ドミニコの生き方に魅了され、それに倣いたいと思うようになった。一方で、騎士の世界も相変わらず彼を惹きつけていた。こうして、彼はこの二つの世界について交互に思いをめぐらせていた。そのうち、イグナチオは二つの世界の違いに気付くようになった。彼の自叙伝によれば、この世のことを考えると多くの楽しみを覚えたが、疲れて考えるのをやめると虚しさや失望を感じた。しかし、エルサレムへ裸足で向かい、草だけを食べ、聖人が日ごろしていたようなすべての苦行をするという考えは、慰めを与えただけでなく、その考えをやめたあとも、満足と喜びを残した。
イグナチオのこの経験から、わたしたちは特に2つの側面に気付くことができる。まず一つは時間である。世俗的な考えは、最初のうちは魅力的であるが、そのうちメッキが剥げ、虚しさを残す。これに対し、神を思うことは、初めは抵抗感があっても、そのうちに今まで知らなかった平和に気づき、その心の平安は長い間続く。また、もう一つの側面は、思考が到達する地点の違いである。最初の漠然とした考えから、識別の深化を経て、例えば、何が自分のためになるのか、抽象論や一般論を超えた、自分の人生の歩みに沿ったものとして理解できるようになる。
大きな問いは人生をある程度歩んだ時に持ち上がる。そして自分が何を求めているかを知るためには、その歩みを逆にたどる必要がある。イグナチオは、負傷して父の家にいた時、神のことも、今後の人生も考えてはいなかった。彼は、自分の心に耳を傾けることで、神を始めて体験した。そこでは、不思議な価値の転換が起こった。一見魅力的な物事は彼を失望させ、華々しくない別のことは持続する平安を与えた。
心に耳を傾けるというこの態度を、わたしたちは学ぶ必要がある。一つの選択や判断をするには、心の声を聞かなければならない。わたしたちはテレビやラジオや携帯電話は聞くが、自分の心を聞くことができるだろうか。
イグナチオはやがて聖人伝を読むことを勧めるようになるが、それはわたしたちとあまり変わりのない人々の生活における、神に従った生き方というものを、物語の形をとってわかりやすく表しているからである。聖人たちの行いはわたしたちに話しかけ、その意味を理解させるのを助けてくれる。
二つの世界の間で揺れるイグナチオのエピソードに、わたしたちは「識別」におけるさらにもう一つの重要な側面を認めることができる。そこには「偶然」が見られる。家には騎士物語ではなく聖人伝しかない、こうした一つの悪条件からすべては始まった。しかし、その不都合は大きな転換の可能性を秘めていた。
イグナチオはこのことに気付いてからは、そこにすべての注意を向けた。神は予測不可能な出来事を通し、時には悪条件の中で働かれる。
わたしたちは同様のことをマタイ福音書の一節の中にも見た。ある人が畑を耕しているうちに地中に埋められた宝に行き当たった。それは思いがけない出来事であった。しかし、重要なことは、この人はその大きな幸運に気づき、持ち物をすっかり売り払い、その畑を買ったということである(参照 マタイ13,44)。
識別は、思いがけない出来事の中で、イグナチオの足の負傷のように、時には不快な状況の中でも、主が与えるサインを認識することを助けてくれる。そして、彼の場合のように、そこから永遠に人生を変える出会い、人生の歩みをより良いものとする出会いが生まれることがある。
2022年9月11日日曜日
「神様は、一人一人の人生の歩みを導いて下さいます」 (その①)
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| シスターゴレッティ |
神様は、一人一人の人生の歩みを導いて下さいます。生まれてから神様のみ許に帰る時まで と言うことです。その一つとしての私の歩んできた道に、神様がどのように働きかけどのように導いてくださったかをお知らせしましょう。その時その時、私自身はそれを全く意識していなかったのですが、後になって 全ては神様がなさったこと、導いてくださった、歩かせてくださった道だったと、強く強く確信しています。
終戦(昭和20年1945年8月15日)を迎えました。その時私は今で言えば中学三年生(当時女学校3年生)戦争が終わって学生生活に戻れましたが、戦争中は学徒動員とか勤労奉仕で、殆ど勉強をしなかったので基礎がない上 先生方も十分いらっしゃらず ガリ版刷りの臨時の教科書という悪条件で勉強どころではありませんでした。それでも翌年一応卒業し社会人になりました。日本中の皆んながそれぞれに苦しい生活を余儀なくされた時期でした。
2022年8月26日金曜日
2022年7月31日日曜日
シノドス
シノドスとは、「ともに歩む」という意味のギリシア語で、一定時に会合する司教たちの集会のことです。
テーマ:「ともに歩む教会のため——交わり、参加、そして宣教」
今月はシノドスのために祈りを続けましょう。
Adsumus Sancte
Spiritus(聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立っています)
聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立ち、
あなたのみ名によって集います。
わたしたちのもとに来て、とどまり、
一人ひとりの心にお住まいください。
わたしたちに進むべき道を教え、
どのように歩めばよいか示してください
弱く、罪深いわたしたちが、
一致を乱さないよう支えてください。
無知によって誤った道に引き込まれず、
偏見に惑わされないよう導いてください
あなたのうちに一致を見いだすことができますように。
わたしたちが永遠のいのちへの旅を続け、
真理と正義の道を迷わずに歩むことができますように。
このすべてを、いつどこにおいても働いておられるあなたに願います。
御父と御子の交わりの中で、世々とこしえに。
アーメン
(カトリック中央協議会 から抜粋したものです)
これからも共にお祈りを続けましょう。
2022年7月5日火曜日
7月6日 聖マリア・ゴレッティおとめ殉教者
7月6日は聖マリア・ゴレッテイおとめ殉教者の記念日となっています。
マリア・ゴレッテイは1890年、イタリアに生まれました。両親は宗教心の熱心な方で、わずかな土地を耕し、細々と生活していました。1896年、ゴレッテイ一家はパリアーノに移住しました。その後、1899年、ルーフェリエルの共同農場内に引っ越し、ジョワンニ・セレネリ氏とその息子と同じ家に住んでいました。
1900年、引っ越ししてから1年後ゴレッテイのお父さんが亡くなりました。そのために、お母さんが畑と家庭の仕事で追われていました。それでも、子どものために疲れ知らずに働いていました。その時、ゴレッテイはそのお母さんの大きな助けとなりました。たった、10歳のゴレッテイは食事の支度から洗濯、小さな兄弟の世話やお掃除まで、まめまめしく働いていました。1901年、11歳の時にゴレッテイは初聖体をしました。
しかし、1902年7月5日、12歳のマリア・ゴレッテイにセレネリの息子アレッサンドロが襲い、わいせつな行為を必死に否定して抵抗したゴレッテイの体を14か所も短刀で突き刺して、そこから去ってしまいました。悲鳴を聞いた近所の人々が横たわって血まみれのマリア・ゴレッテイを見つけ、お母さんを呼んだ後、病院に運ばれました。当時の医療が許されていたことをゴレッテイにされましたが、苦しい15時間後、天に召されました。
死ぬ前に、お母さんに「アレッサンドロを赦してあげてくださいね。いつか天国で、また会いたい」と話し、アレッサンドロを赦したと言われています。後にそれを知ったアレッサンドロは改心し、かプチン会修道院に入り、門衛を務めながら罪を償いをしました。
1950年、教皇ピオ十二世はマリア・ゴレッテイを聖人の位に上げました。その列聖式に列聖されるマリア・ゴレッテイの母親は参列しました。母親は自分の娘の列聖式に参加することは初めてであったかもしれません!
・1929年、ジュゼッペ・ブロヴェッリ=ソッフレディーニによる絵画、と聖ヨハネ・パウロ二世による祈り。
2022年6月24日金曜日
イエスのみ心の祭日
今日は、イエスのみ心の祭日です。
私たちの創立者、福者マリア・イネスは、イエスのみ心に対する深い信心をもっていました。修道会創立の許可を聖座に願うにあたり、次のように語っています。「何か深い内的インスピレーションにでも取りつかれたように、(1951年5月31日に)使徒座宛の筒状の書類を郵便局に託した瞬間から、イエスのみ心にささげられた月、6月は、その使徒座からの待ちに待った肯定的な返答をいただけると確信しておりました。人の目にはあまりにも無謀に見えたかもしれませんが、信頼に満ちた、繰り返し願う祈りは全てを獲得します。
そして、1951年6月22日(その年のみ心の祭日)に、修道会創立の認可をいただきました。6月22日は、私たちの修道会の創立記念日ですが、創立者が列福されてからは、福者マリア・イネスの祝日になりました。











