2014年4月11日金曜日

一日召命黙想会がありました 1


 
 
「一日召命黙想会がありました」①

今日は32日(日)に東京本部修道院で行われた「一日召命黙想会」奮闘記(?)をお伝えします。ご指導は東京教区の森一弘司教様でした。参加者は当日の申し込みを合わせて12人(遠くは名古屋、長野からの参加も)。どの召命黙想会でも、講師の話を聞き静かに神様のみ前で祈るというのが普通です。ところが本会の召命黙想会は少し違うのです。(どこが?)今からそれを話しましょう。皆さんは“ディナミカ”って聞いたことがありますか?祈りに入るための準備体操のようなものです。まず始めに、昨年秋に来日したノビス(修練者)+有期誓願者の6人がさっそうと登場!はにかみながら日本語で名前を紹介した後、さわやかな笑顔で歌とダンスを始めました。参加者された皆さんはそれを見て(・・)(・・)。イエス様と弟子の歌(召命)だったのですが、スペイン語だったので意味がわからなかっ
たのです。簡単な訳を聞き「皆さんもご一緒に」の掛け声と共に、参加者は(森司教様もご一緒に)歌にあわせて手を振り、体をくねらせ皆楽しそうに踊ってくれました。(ホッ!) 次のディナミカは、小さなピンクの紙と水を入れたデザート用のお皿が、参加者一人ひとりに配られました。(何をするのかな?)ピンクの紙を水の中に入れると、あら不思議!その紙が花びらのように少しずつ少しずつ開いていきました。その中には聖書の箇所が書いてあります。そこでシスターが一言「この花のように神様の語りかけは美しく静かです」。その後自分に与えられた聖書のみ言葉の紙をさがして席に戻りしばらく黙想。皆真剣な顔。(一人ひとりに語られた神様のみ言葉は皆さんの心に届きましたか?)その後聖堂でミサがありました。まだ召命黙想会の話は続きますが、それは次回のお楽しみに!(^-^

 
 
 
 


 
 

2014年3月31日月曜日

「ホットひと息」


「ホットひと息」

 



「喜んで」   ・・・(修練女5人+有期誓願者1人)の話②






昨年の秋に来日したノビス(修練女)たちは、いつもニコニコと奉仕的です。

まだ来日間もない時のこと。実は私もスペイン語(だけではなく日本語以外の言葉)が苦手なので、ノビスたちとの会話はいつもゼスチャーでした。腰痛のある私は重いものの移動を頼もうと、それを一生懸命身振り手振りで伝えました。すると「ああ」(これは世界共通語なの?)とうなずき、笑顔で「喜んで」と言いながら助けてくれました。まだあまり日本語が話せないのに、「喜んで」と言われた時、私も慣れないスペイン語で「グラシャス(ありがとう)」と答えました。それからは、「喜んで」という言葉がノビスの間で、またいつの間にか東京修道院の間で流行語となりました。創立者が残して下さった“喜び”の精神が、これからも私たちの“思い”と“言葉”と“行い”によって「神様を喜ばせる」ものとなりますように!(^-^


2014年3月22日土曜日

ホットひと息


このページを開いてくださったあなたへ・・・ようこそ「ホットひと息」へ
 

ここでは、修道院のチョットした出来事を通して感じたこと、気づいたことを書きたいと思います。それを読んだ感想やご意見がありましたら、ぜひぜひこちらに送ってください。“こんなことが聞きたいな”と思う質問もお受けします。
 



今日は、神様が私たち日本地区に下さった大きなプレゼントについて書きますね。日本のどこの修道会も共通の悩み。それは、“新しい召命がなくてシスターたちの高齢化”という現実です。そこで私たちは、一生懸命に祈りました。何年も、何年も。


すると昨年の秋、なんとメキシコの修練院から6人の修道女が日本に送られてきたのです。(5人の修練者と1人の有期誓願者)その内の4人は、まだ19歳。初めての日本、慣れない長旅の疲れの中、東京の修道院に着いた時の顔は、満面の笑顔、笑顔、笑顔!


 修道院の中で時々疲れた顔をしてしまう私、私たち。“主よ、許してください。”
 
 

これからは、修練女にも負けない笑顔で生きたいと思います。なぜって?やっぱりこの生活は、神様の恵みで一杯ですものね。(^-^
 
 

お元気で

2013年12月9日月曜日

グアダルペの聖母

12月12日(水曜日)

グアダルペの聖母

ルカによる福音書1・2638

「わたしは主のはしためです」 (ルカ12638)。

 

さびしい高速道路を何時間も車を走らせていると、たった一つの道路標識が視界に入って来たとします。それがどれほど嬉しいことか、想像してみてください。それは目的地を指し示したり、ガソリンスタンドや食料品店が行く先にあることを教えてくれます。その糸津の標識で、自分は確かにあるところに向かっていること、一人きりでいるのもそう長くはないことを、思い起こすことができるのです。

おとめマリアは、まさにその道しるべです。神の愛と計らいを指し示してくださいます。私たちの天の目的地のことを教えてくださいます。マリアは歴史のいくつもの異なる時と場所で、キリストにおいで待ち望むべきあらゆることを指し示す輝やかしい標識として、人々の前に出現さえしてくださいます。

そのような出現の一つが、1531年、メキシコ市丘郊のとある村でありました。マリアはファン・ディエゴという男に現れて、村人たちにキリストのメッセージを広めるための手助けをお頼みになりました。マリアの名において一つの聖堂を建てることを求め、ファン・ディエゴに与えるメッセージを遠く広く伝えることができるように計らってくださいました。「あなたの母である私が、あなたと共にいるではありませんか。あなたは私の陰に、保護の下にいるではありませんか」。またこうも語られました。「すべてのものの命の源、遠く近くすべてのものの主であり頭、天と地の主であるまことの神の、私はその母です」。

このように御自分のことを告げながらも、ご自分が天の御父の力、栄光、愛の映しに過ぎないことを明確にされました。こうしてマリアは、北米南米のすべての人々、原住民と外から新しく来た人々のしるしとなりました。それも何という力強いしるし!グアダルペの聖母の奇跡の(すがた)と、その名の下し建てられた聖堂を通して、何百万という人々がキリストを信じるようになり、今も教会に受け入れられているのです。あなたの標識は何を教えていますか。神はあなたに、イエスのことを人々に指し示すマリアのようになることを望んでおられます。イエスがあなたにしてくださったおと、そして他の人々にもしようとしておられることを、あなたが人々に告げることを神は望んでおられます。実に多くの人々が、あなたの内にキリストを見ることができたなら、どれほど慰められるか、想像してみてください! 

「マリアさま、私のためにお祈りください! 私の言葉、行いがすべて、あなたの御子を人々に指し示すことができますように」。

 

毎日の黙想

The Word among us

2012年待降節号 122日ー1231

 

2013年9月9日月曜日

黙想と巡礼者の家


黙想と巡礼者の家

  
 
 


『…主よ、あなたを求めて、この家を訪れる人々が、その心の中で竪琴を奏でますように。あなたの耳に心地よい、言葉には言い表せない甘く優しい時句を、絶えまなく、天をめがけて奏ででいきますように。彼らの上に、また同じ町の人々にも、溢れる恵みを注いで下さいますように。』(福者マドレ・マリアイネス)



 

この熱意が宣教クララ会員を黙想者や巡礼者のための家の建立へと駆り立てるのである。これらの家は言語、習慣、国の異なる人々に、又常に創り主を深求しようとする人々に解放されている。



 

宣教クララ会員は、喜びを伴う生き生きとしたその奉献によって、黙想者や巡礼者に神の愛を伝える。奉仕と心配りの中にみられるその単純さで、神のみ旨に対する信頼と委託に生きる人生の可能性を人々に示していく。




 

宣教クララ会員はいつでも、そのほほえみに交じり合う甘美な調べを漂わせ、人々に対してだけでなく、隠れておられるキリストに仕える。




 

限りなく主を愛すること、すべての人の心の中で主を愛すること。

 

2013年6月12日水曜日

宣教クララ修道会の使徒識 学校


学校

 


「神の計画の中で、各人間は自分を発展させるように招かれている。何故ならば、生命はみな一つの召命であるから。その誕生の時から、いつか実を結ぶように萌芽として、すべての人に天分と特性とを合わせて与えられている…」


 

宣教クララ会員はやわらかい心にまかれているその種が、芽を出すように教育活動に全力を尽くす。明日の世代へのいのちの伝達者となる人々の教育と養成に、畑心の注意を向けていく。
 


『私たちは、魂の価値の深い認識を主に願わなければなりません。その労苦を避けてはならないのです…』
 
 

 

この認識が日に日に宣教クララ会員に教育活動を宣教として受けとめる様に促していく。そこにおいて個人の興味を捨て去り、自分を完全に奉献しようという願望と熱意がわきあがってくるのである。
 
 
従って、自分が接する子供たちや青少年たち一人一人への配慮を示すことが、彼女の唯一の願いとなる。
 
無邪気な中にも、彼らはその心を満たす神の必要性を感じている。