横浜港大さん橋
シスターL
初雪の話題もチラホラ。軽井沢の町はいかがでしょうか。浅間山は初冠雪でしょうか。浅間山に3回、雪が降ると里に降ると言われています。こちら東京は新総長を迎え時間割が変わり特別な日々を過ごしました。まず、新総長に従順を誓いました。これをいう時は毎度のことながら胸がいっぱいになります。今まで3人の総長に従順を誓いました。なんということでしょう、見ず知らずの人に自分の意思を預けるとは。年とともにその重さを感じています、と同時に従順が見せてくれた不思議な世界にも思いをはせております。
東京でのある一日、総長様とみんなで遠足に行ってきました。横浜のカテドラル山手教会に私たちの創立者の聖遺物が納めてありますのでそこでお祈りいたしました。八景島シーパラダイスに行きお弁当を食べイルカのショウを見て楽しく過ごしました。それから横浜港大さん橋に行き ました。今から65年前4人の最初の姉妹たちが着いた港です。1951年、昭和26年10月23日、彼女たちはこのメリケン波止場に着きました。きっと青雲の志を抱いて降り立ったことでしょう。それから軽井沢の地に行き寒さの中、貧しさの中、大日向の開拓地で人々に宣教しました。伊藤さんという方から借りた家に住み、台所の隣は牛小屋で、時々牛が節穴からジーッとこちらを見ていたり、くしゃみで堺の板が揺れたり、美しいクリスマスカードからは、想像もできない馬小屋での生活の実態に触れながらの宣教活動でした。
この地は旧満州開拓団が引き揚げ後、浅間山麓を開拓して村作りをしていました。天皇陛下が皇太子の頃から心にかけ両陛下でたびたび訪れました。お陰様でそのあとにつづく私たちもたびたびお会いするという栄誉に浴しました。ご成婚50周年の時はこちらの修道院を訪問してくださいました。私は入会して42年が経ちました。日本地区の歴史の65年のうち42年をその歴史に参加させていただいたのだと思い、今、感無量です。
最初の姉妹が到着してから2年後、創立者が第一回日本訪問のためにこの港に着きました。その時の全会員にあてた手紙があります。
“私たちは少しずつ入江に近づいてきました。そこには 一つの灯台がありました。船はそれらを後に進んでいきます。もう暮れかかってきた中で、私はその光を見ながら、早く上陸したくてたまりませんでした。地図によれば、まだ数時間の航海が必要でした。乗客たちもみな同じ思いが見られました。そしてそれらの人々の中で私たちだけがカトリック信者であることを確かめたときの心の内を、あなた達には理解できないでしょう”
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