2020年12月11日金曜日

グアダルッペ巡礼の旅

 グアダルッペ巡礼の旅


グアダルッペの聖母大聖堂です.


 1988年のことなんですが、教皇様聖ヨハネ二世が決めた「マリアの年」に、メキシコのグアダルッペのマリア様への巡礼の旅が企画された。“マリア様にお会いてきる”その思いがこの巡礼の旅に参加する動機となった。誰かが猫いたのではなく、誰かが写したものではないマリア様ご自身に目にかかれる....それがうれっしかった。

四月九日、成田発午後六時、わたしたち巡礼者十四名を乗せて飛行機は離陸した。同日メキシコ時間で午前0時に無事到着した。そこにはメキシコ・シティにある本会の修道院の数名のシスターたちが、予定より遅れた到着を待ちわびていた。そして、私達の歓迎にそれぞれ一本のバラの花と、グアダルッペのマリア様の小さなバッジを胸につけて下さった。

翌朝、私たちは、疲れをいやす間もなく、ねむい目をこすりながら、用意されたバスに乗ってグアダルッペの大聖堂に向かった。途中、国旗を先頭にした何組かの少数グループの巡礼者を車窓からながめて、本当にいよいよ私はマリア様のみもとに行くのだという熱い思いが湧き起こり、旅の疲れはもうどこかへ吹き飛んでいってしまった。大聖堂正面前の広場は、九時からのごミサに与るために、メキシコ各地から来た人々でにぎわっていた。自分の願いや望みを祈り深めるために、小さな子どもから老人までひざまずいて歩き、その広場を横切り聖堂まで入って行く姿を見て、信仰の深さを目のあたりにして、感動を押さえることができなかった。日本にいる時グアダルッペの大聖堂で、私たちが一体どのような形で何をするのか予定が組めなかった。この日は日曜日であったし、ごミサは時間を追って頻繫に捧げられ、皆予約されたものであることを聞いていたので、とにかく、みことばの祭儀だけはしたいので、その準備をしていったのだった。けれど一人のシスターの家族が、日本の巡礼団のために、一番主要な九時のごミサを予約していてくださっていた。この思いがけない恵みに、どのように感謝したらよいのだろうか。。。。。

日本の国旗を先頭に大聖堂の入口に立ち並んだ私たちを、御ミサの司式をなさるモンセ二ョールが、祭壇から迎えに来てくださった。モンセ二ョールに続いて、国旗を持つシスターと、両側そのシスターのご両親、そしてマリア様に捧げるバラの花かごを持つ巡礼者....十四名の巡礼者はしずしずとマリア様が待つ祭壇に近づいていった。モンセ二ョールを中心として十五名の共同同式、十名の可愛いい侍者、美しい聖歌隊の歌声で一生懸命賛美、礼拝している地方から巡礼者らしい老人の声も聞こえる中で、荘厳かつ素朴なごミサが捧げられた。モンセ二ョールは、全会衆に日本からの巡礼者を紹介し、この巡礼の成功のために祈るようすすめてくださった。私たちは最前列で与り、心を込めて祈った。マリア様のみ名が日本国中に広がりますように。マリア様の母としての信頼を持って喜びのうちに生きることができますように。マリア様の   力強い取次ぎによって、平和な世界が一日も早くきますように。
一般の巡礼者がマリア様の近くに行くには、祭壇の下をエスカレーターのようなものに乗り、下から見上げるのであるが、私たちは特別な許可で、マリア様に最も近い所まで行き、心からの祈りを捧げることができたのだった。何人もの巡礼者が涙を流した。丁度、懐かしい母のふところにねむる幼子のような安らぎに満たされながら。

『あなたの母である私がここにいるではありませんか』
そうです。マリア様、あなたはここにいらっしゃいます。それだけで十分です。私たちの
心は、感謝でいっぱいであった。

モンセ二ョールから日本のために特別な祝福をいただいて外に出た。広場にはご出現の時の
模様を再現する等身大のマリア様のご像が置かれていて、噴水や色とりどりの美しい花が咲き乱れ、休息と語らいの場となった。巡礼の旅を終えた今、私の心はそれを思い出すたび、感動を新たにする。マリア様が呼んでくださったから私たちは行くことができたのだ。この巡礼者の中には、まだ神の愛を知らない、その存在を信じない方々もいた。けれど、マリア様との出会いによってきっとその方々の心に消し去ることのできない何かが深く刻みこまれたと確信している。

――――マリア様を通してイエズス様に――――
シスター石塚




        マントに写った聖母のお姿




グアダルッペの聖マリア
私たちのために祈ってください。





聖マリアあなたのみ心が、
全世界の救いとなりますように。

グアダルッペの聖母よ、私の心がいつまでも
あなたを愛しますように...

そして、私の舌は
あなたに賛美されますように。










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