美しいマリア
・全ての正義、恵み、美は彼女の内にある。彼女の美しい魂は天国の花壇。 彼女の姿はまるで詩、天使たちも彼女を見る時の畏敬の念は十倍も深い。 きっと、神の目に彼女はあらゆる天使的な美を超えているに違いない。
・私は母であるより先に神の娘、はしためです。私の平静さは神のおぼしめしを行うところにあります。私の明るさは神のおぼしめしを行うところから来ます。
人間であれば一番知恵深い人であっても間違った望みを課す場合がありますけれども神の場合は違います。私たちを助けられるのは無限の手段を持っていらっしゃる神しかないのです。
私は無条件で私自身を神に捧げました。このことで私はどれ程の苦しみが来るのかを知っていましたのに。その時、預言者たちは私の知恵の前に在り、神の光が予言者たちのことばをはっきりわからせてくれました。天使に伝えた私のことば「なれかし」によって、母となるものは耐え忍べる最大の苦しみに自分自身を捧げなければならないと知りました。
いつも、あなたは谷に咲く百合、かぐわしいバラ、美しいオリーブ、豊かなぶどうの木、強いぶどう酒と、拝領するにふさわしい心の人に死から守るペンを下さいました。
聖ヨハネ
まだ命のない横になったマリアの体が天使たちの群れに支えられて天の天へと昇っていく。マリアが太陽の光に包まれて霊魂を体から離す脱魂状態が終わって、その足で立つ。天へと真っすぐ昇るマリアをみる。ホザンナを歌う天使たちに囲まれているが、もう支えられてはいない。キリストはえも言われぬ美しきで輝かしく光りながら天から真っすぐ下って母に会うと胸に抱きしめ一緒に二つの大きな星より輝いてもと来たところに引き返している。
復活されたイエスのことば
私を宿して、育て生きる時も死ぬ時も私を助けて下さったことを感謝しています。私はあなたの祈りが私にやってくるのを感じていました。その祈りは苦しみの時の私の力、この世での、またこの世のかなたまでの私の旅の仲間でした、 その祈りは十字架まで、リンボまで、私と一緒に来ました。
その祈りは死ぬことのない宝殿、私の天に導くため僕たちを迎えに行っていた大司祭の前に煙る香でした。その祈りは御父と聖霊に見られ、又開かれ、父と子とは天国で生まれた最も美しい花を見、最も優しい歌を聞いたかのように微笑みました。
貴女は生きている天国であり、地上において三位一体を担う者であり司祭職の女王であります。
そうしてキリスト者の母であるがために教会を聖とするものであるわけです。
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