2024年1月15日月曜日

「神様は、一人一人の人生の歩みを導いて下さいます」 (その②)



 その後幼稚園教諭の資格もとって実家近くの教会の幼稚園に務めました。幼児教育という素晴らしい場で、先生方とも気が合い、信者としても充実した喜びの日々を過ごしていましたがある時、ふとしたことから先生方の気持ちに亀裂が入り全く気持ちが離れてしまってほとんど話もしないような気まずい関係になってしまいました。そのようになった時、初めて人間同志の関わりのはかなさを痛感し、ずっと以前、前の町で教会に行く前に感じていた“変わらないもの永遠なるもの”はないのかともう一度考えるようになった時、お世話になったシスターの姿を思い出しました。「そうなんだ、シスター方は永遠なるものを求めて神様に自分の生涯を捧げていらっしゃるんだ」そしてその道について知りたいと思いましたが、どこの誰に聞いたらいいか分からず迷って居ました。その頃、教会に大きな行事がありその日、私の前に二人のシスターの姿がありました。驚いて尋ねましたら「御聖体の宣教クララ修道会」とのこと、私の修道者への道はここから開かれた訳です。
 入会希望のことを主任神父様に話したら「あの修道会は日本に来てまだ日が浅く、生活も安定していない様だし将来も分らないようだから、もっと歴史があって事業(大きな学校とか施設)などをしていて安定している修道会に入った方がいいのではないか」と勧めて下さいましたが、私は「いいんです、貧しくても安定していなくてもあの修道会に行きます」と言ったように記憶しています。そしてその春、3月25日マリア様のお告げの祭日に中軽井沢の修道院の門を入りました。まだ寒いでした。 
 一年間の志願期、二年間の修練期を経て初誓願のお恵みをいただいて、今、約60年の歳月が過ぎました。その間、世界中でも、日本の国としても、カトッリック教会としても、修道会としても、個人としてもさまざまなことがありました。私個人としては、各所の幼稚園と、教会でのミッション関係の仕事が主でした。修道者としての生活を細かく書いていくときりがありませんが、どの一つをとっても太字で書かなければならないようなことが沢山ありました。その時々に丁度良い道を、また思ってもいない道を、神様が用意してくださったからとしか思えないこと、それは日々の歩みの中でも、大きな出来事の中でも、その時々に丁度良く全て順調でした。私の祈りはいつも感謝しかありませんでした。“神様!!丁度良い時に、丁度良いお恵みをありがとうございます!!”とそしてその祈りは今も続いています。
 このように神様は、私達一人ひとりに歩かせたい道を考えていらっしゃって、その時その時に必要な恵をくださりながら導いて下さると言うことを、絶対的な確信をもって申し上げることが出来ます。皆さんもどうぞ、神様への全き信頼のうちに、ご自分の道を進まれますよう心からお祈り申し上げます。

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