2021年5月2日日曜日

聖母マリアと召命のプレセント(その①)

5月はマリア様の月。

 私たちのお母さん、大好きなマリア様を讃え特にお祈りを捧げる月です。 マリア様は、預言者によって約束されている救い主が来られるのを持ち望んでいました。そんな時に天使ガブリエルから‘救い主の母となる’神のお告げをお受けになったのです。私たちがマリア様に惹かれる理由はたくさんあります。中でも、先々の心配を抜きにして神様から受けた使命に「はい」と即答した年若いマリア様に感動しない人はいないでしょう。
 この神様から受けた使命のことを「召命」といいます。一般的に司祭、修道生活への神様からの招きのことをいうようですが、広い意味で 結婚、独身生活、職業など、各自に神様から与えられた使命のこともそういえます。
 さて、マリア様の場合のように天使ガブリエルから「あなたの召命は・・・」と伝えていただけると分かりやすいのですが、そうはいかない人間の私たちは 自分の召命は何なのか分かりかねて時間を費やしてしまうことがあります。40歳で入会した本会のシスターTもそんな一人でした。 これから シスターTの召命について2回に分けて紹介したいと思います。
 

 シスターTは東北のある小さな町で生まれ育ち、周りには教会もなく、司祭、修道者の姿を目にしたこともなく、信者の知り合いも一人もおらず、キリスト教とは全く関わりのない生活をしていました。そんなシスターTが、福祉施設に勤めて数年後、バザーの為に頂いた古本の整理に駆り出された後、『がんばったから』と何か1冊古本をもらっていくよう一緒に仕事をしていた本好きの先輩から勧められました。中々決められずにいると、「これなんかどうだ?」と渡されたのが 曽野綾子著 「時の止まった赤ん坊」でした。 早速その夜から読み始めました。 「上」を読み終えて「下」に進み、そしてまた「上」「下」・・・まるで小説に吸い込まれてしまったような数日が続きました。この小説はマダガスカル島にある修道院が経営している貧しい産院で産婆として働く修道女(入江茜)を主人公にして描かれた作品でした。読者をこれ程に感動させる主人公は「全ては、神様のためにやっていること」と言います。「神様のため?」 よく理解できませんでしたが、なぜか、全く無縁だった修道女の存在が身近に感じられたのです。 「なんて素敵な生き方だろう。私も彼女のように生きたい!」と思ったのでした。シスターT25歳になったばかりの頃の事でした。でもその望みを否定する考えが次々に浮かびます。“信者でもないのに修道女になりたいなんて、一時の憧れにすぎないに決まっている。” ”自由気ままに生活している私が神様のために人生を捧げるなんてできるはずがない。“etc・・・そこでシスターTは”海外ボランティア“に行くことにしました。人生を全て捧げるのは難しいけど2年間なら捧げられると思ったのです。それが終わったらもう修道女のことは忘れているだろうと考えていました。
 

海外ボランティアから帰ったのは30歳の時。まだ修道女への想いは消えていませんでした。出会ったカトリック信者の方に「実は修道女に興味がある」と話すと、それならば洗礼を受けなければと、ごミサに誘って下さるので何度か参列したのですが、そのごミサがつまらないと感じられました。困ったことに、ごミサを理解するために勉強したいという望みも湧き上がらなかったのです。シスターTにとって『修道女になる』ということと『カトリック信者になること』つまり受洗することは全く別物だったのです。これは修道女になりたい望みはもうあきらめた方がいいという決定的な気づきだとシスターTは思いました。  
 ・・・でも気になる でも・・・。 

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